2012年 06月 12日
クレバスに心せよ!
c0213681_22185259.jpg

アメリカ文学の最高峰を成す作品群を残したハーマン・メルヴィルが1891年に72歳で亡くなったとき、文芸誌のハーパーズ・マガジンに載った死亡記事はわずか2行、しかも年齢を1歳まちがえて伝えていた('September 27th. --- In New York City, Herman Melville, aged seventy-three years.')。また、かのニューヨーク・タイムズはメルヴィルのファースト・ネームを「ヘンリー」と誤記したとかしなかったとか。一方、かつての知人の中には、メルヴィルがとうの昔に亡くなっていると思っていた人もいたらしい。作家はすでに過去の人となっていた。

そんなメルヴィルの人生について、殊に作家としては不遇であったその後半生についてときどき考えることがある。1851年に発表された『白鯨』は当時の読者を戸惑わせたが、日本ではこれまでに翻訳が11種類出ており、そのことをメルヴィルが知ったらどう思うだろうか。いくつかの評伝を読むと、『白鯨』の出版に始まる1850年代初め以降、自作に対する相次ぐ酷評にメルヴィルはなかばヤケになっていたかのような印象を受ける。書きたいと思う作品を書けば書くだけ、読者からはますます遠ざかっていくという悪循環。長篇小説としては最後のものとなった『詐欺師』(The Confidence Man)は1857年に出版されたが、作品に対する評価はあいかわらずだった。しかし、かつて畏友ナサニエル・ホーソーンに宛てた手紙に、'It is better to fail in originality than to succeed in imitation.' (「模倣によって成功するよりも、未だ書かれたことのないものを書いて失敗することを選びたい」)という言葉で自身の作家としての態度を表明していたように、メルヴィルは時代に迎合することを最後まで拒んだのだった。家計は逼迫する一方だったが、メルヴィルは筆を折るどころか、執筆欲は増すばかり、『詐欺師』発表後は散文を離れ、徐々に詩作に向かうことになる。メルヴィル家では、執筆に没頭する主人の健康を心配するのが習慣となっていた。

後年、メルヴィルはいくつかの重要な短篇作品を書いたが、一方で少なからぬ詩作品を残している。例えば、1866年に発表した Battle-Pieces は南北戦争に想を得ているし、亡くなる数年前に私家版でごく少部数出版された John Marr and Other Sailors(1888年)は若き水夫時代のことを題材にしたものだった。しかし、最大のものといえば、1876年に刊行された長篇叙事詩『クラレル』(Clarel: A Poem and Pilgrimage in the Holy Land)であり、長さは18000行に及ぶ。長さだけを見れば、『マーディ』(1849年)や『白鯨』に比するといってもよい。研究者によれば、『クラレル』の執筆開始は1867年頃だったようだが、作品の着想自体は1856年から57年にかけて地中海を旅行したときに得ていたようで、そうなると構想から執筆、そして完成までの期間は実質20年ということになる。この長大な詩篇を日本語に翻訳した須山静夫は、この時期を「メルヴィルの魂の二〇年にわたる巡礼の足跡にほかならない」と表現している。

この世には長大さと難解さゆえに翻訳が困難とされる書物が少なくないと思うが、『クラレル』もその点においては引けをとらない。アメリカ文学研究者だった須山氏がこの鈍い光を放ち続ける結晶に一条の光を当てたのが1999年だった。その翻訳には15年あまりの歳月を費やしたという。版元は(もちろん)南雲堂。当時どれほどの書評が出たのかは知らない。メルヴィルの魂に共感する者の一人として、この詩篇には関心を持ち続けてきたが、素人の個人所有を拒むかのような値段設定にいまだ入手すらはたしていない。翻訳は1000頁近くあり、心地よいめまいをおぼえる。現在は絶版となり、手に入れるなら古書ということになるが、古本はぜひ105円で、と思ってばかりいる浅墓者に、そんな幸運はそうそう訪れない。県内のどの図書館にも入っていないようで、実のところ、実物を拝む機会すら訪れていない。

***

さて、先々月、いつも行く書店で、ふらっと外国文学棚の前を通ると、他とは少しちがう雰囲気を持った本が目に入ってきた。棚の限られたスペースになぜか面陳されていたその本は、吉夏社(きっかしゃ)という出版社から4月に刊行されたばかりの本だった。夏葉社なら知っているが、この版元は知らない。驚くべきは3冊も入荷していたことで、異例の特別待遇といえるだろう。この書店は金沢にいくつか支店があって、ときどきこういう粋な仕入れをしてくれる。

シンプルな白い表紙に横書きのまま縦に印刷された「クレバスに心せよ!」という一風変わった書名。副題には「アメリカ文学」とあり、そのあとに読点をはさんで「翻訳と誤訳」という言葉が韻を踏んで(?)つづく。アメリカ文学の翻訳論のようだ。それらよりもさらに小さく控えめに記された著者名には「須山静夫」とある。どこかで見かけたことのある名前だが、どこでだったか思い出せない。帯に目をやればすぐに気づいたはずだが、妙な期待に気持がたかぶっており、そうするのも忘れて、本を開き、頁をぱらぱら捲る。そのうちに、ようやくそれが『クラレル』を翻訳したアメリカ文学研究者の名前であることが思い出されてきた。帯にはちゃんと『クラレル』の文字が載っているではないか。

c0213681_239889.jpg

へなちょこ英語読みからしてみれば奇蹟のように思える『クラレル』の翻訳が完成してから13年、いつかは挑戦してみなければと思いながらも、その勇気と時間が持てないままに来てしまった。そんな折、その翻訳に魂の15年間を注いだ研究者の『クラレル』入門書といっていいかもしれない著書が目の前に現れたのだから、その恩恵に与るのは自然な流れ。あわよくば、『クラレル』を読んだ気分に少しだけなってやろうという魂胆もある。どこまでも浅墓ではあるが。

本書の目次は以下の通り。

・クレバスに心せよ
 1 ウィリアム・スタイロン 『闇の中に横たわりて』
 2 ウィリアム・フォークナー 『八月の光』
 3 フラナリー・オコナー 『オコナー短編集』
 4 フラナリー・オコナー 『賢い血』
 5 ハーマン・メルヴィル 『クラレル』
 6 ハーマン・メルヴィル 『白鯨』
・ハーマン・メルヴィル 『クラレル』論
 1 長詩『クラレル』の受けた書評、つまり酷評
 2 『クラレル』におけるメルヴィルの想像力は、死についての想像力である
・『クラレル』翻訳余禄
 1 『クラレル』の内容の概略、および『クラレル』の受けたアメリカでの書評
 2 『クラレル』論の執筆者たちのおかした誤解および誤読
 3 『クラレル』の原書に付けられた編者たちによる脚注のなかの誤り
 4 日本人研究者による誤訳

・『死海写本 イザヤ書』に分け入って
 1 須山のヘブライ語学習のいきさつ
 2 ダビデ王は息子アブサロムを愛していたか、憎んでいたか
 3 銀座教文館に展示してあるイザヤ書の複製
 4 死海写本とビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシアとの相違点

さしあたって関心のあるメルヴィルと『クラレル』の翻訳に関する水色の部分を読んでみた。この部分では、自身の翻訳も引用しながら『クラレル』の大まかな流れを紹介しているが、それらは「クラレルの作品論」というよりは、「クラレルの翻訳論」もしくは「クラレルの解釈論」といった内容かもしれない。扱われているテーマが宗教的なものであったりするので、内容的に理解の及ばない箇所もあるが、それでも常に死の影が見え隠れする作品の重い雰囲気は感じ取ることができる。

『クラレル』には「聖地における詩と巡礼」という副題がついており、聖都エルサレムを訪れるアメリカの青年クラレルを主人公とする。クラレルはエルサレムで様々な人物たちと出会い、揺らいでいた自分の信仰心を見つめ直す機会を得る。一方で、ルツという現地の女性と出会い、彼らは恋に落ちる。しかし、ルツの父親がアラブ人によって殺害されてしまい、喪中のあいだは、ユダヤの慣習によりルツとその母親に会うことができない。その合間の時間を埋めるべく、クラレルは巡礼の一行に加わり、10日間を彼女と離れて過ごすことになる。ところが、巡礼の旅を終えて戻ってくると、ルツとその母親までもが悲しみと熱病によって亡くなっていたことを知る。幸せを手に入れられるかに思えたクラレルは悲嘆に暮れる。「神よ、あなたは存在するのですか?」という言葉をつぶやき、その後しばらくはエルサレムにとどまり、いつしか街のなかに姿を消してしまう、というところで物語は終わるらしい。なかなか魅力的な内容だと思う。ただ、それが韻文という形で書かれているため、読むのはそう簡単ではないだろうし、原文ならなおさらそうであり、ましてやそれを翻訳するとなった場合にかかる苦労はいかばかりであろうか。

さて、題名にある「クレバス」とは、翻訳者が陥る誤訳のことを指す。本書では、自身のこれまでの誤訳を省みると同時に、他の研究者の誤訳を淡々と、しかし異様な細かさでもって記録していく。
訳文を読んで、少しでもおかしいと感じられたら、誤訳していると思わなければいけない。まあ、これでよかろう、と思ったら、もう駄目だ。まあ、とか、ろう、とかいう言葉は自分をごまかすためのものだ。そういうときには、その箇所のことはいったん忘れて、虚心になる必要がある。虚心になるためには時間がかかる。熱した頭で考えつづければいいというものではない。『クラレル』はむずかしい、とアメリカ人も、日本人も多くの人たちが言う。一ページに一箇所ずつそんなところがあれば、忘れたり考えたりをくりかえしているうちに、一五年ぐらいの時間はたちまち過ぎてしまう。(151-152頁)
さらには、1938年から1973年までに出版されたアメリカの研究者たちによる8冊の先行する研究書にあたり、かなりいいかげんな解釈や引用がなされてきたことを、敬意を払いながらも指摘していく。『クラレル』にはいくつかの版が存在していて、決定版とされる Northwestern Newberry Edition が発表されたのは須山氏が『クラレル』の翻訳を始めたあとだった。それまでの版(Hendricks House Edition)と決定版とのあいだに重要な異同を確認した須山氏は、あらためて決定版をもとにそれまでの翻訳を見直さなければならなかったという。誤字・脱字にはじまり句読点の位置の確認まで、細かく地道な作業が続いた。瑣末とはいえ、解釈に大きな違いを生じるものもあり、看過できなかったのだ。想像するだけで気が遠くなる。1999年に翻訳が出た後も、常に誤訳がないかと精査し続けたという。2006年に第2版が出たときには、初版の訳から改めた箇所が50箇所ほどあったようだ。須山氏は本書の2回目の校正中に急逝された。享年86。

本書では、瑣末な誤訳部分も含めて、単にそれらを書き出しているだけのように見えるので、読み物としての面白みに欠けるという批判はある意味当然である。とはいえ、それほど読者が多くないであろうこういう大作を訳した著者の真摯な姿勢と情熱の持続には敬意が払われるべきだろう。はっきり言って、あんまり売れないだろうが、このような本を出してくれた吉夏社には感謝したい。メルヴィルに心酔し、魂の半分をこの作家に売ってしまったつもりでいる私にとっては、なんともありがたい読書であったと言っておこう。

***

<おまけ①>
先月だったか、毎日新聞読書欄で荒川洋治氏が本書を取り上げられていた。「今週の本棚」らしい選書だろうし、一流の読み手によって書評が書かれたということ自体はすばらしいことだと思う。ただ、個人的に残念だったのは、その書評ではメルヴィルや『クラレル』の翻訳についてはいっさい触れられていなかったことだ。ま、いいんですけどね。

<おまけ②>
『クラレル』の版元の南雲堂といえば、数ヶ月前にチャールズ・オルソンという詩人の『マクシマス詩篇』なんてのを出版したばかり。これも自費出版なのだろうか。こちらは『クラレル』を超す1500頁の大冊である。価格は言わずもがな。チャールズ・オルソンがどれほどの詩人だったのかはよく知らないが、実はこの詩人には Call Me Ishmael というメルヴィル(の『白鯨』)理解の一助となる重要な書があるので、この詩人の名前をこちらの本で記憶しているというメルヴィリアンも多いはずである。もう半世紀以上も前に出た本だが、今読んでもけっこう面白く、いわゆる研究者が書いた本とは一線を画していると思う。ただし、オルソンはこの本の中で『クラレル』を「エイハブの太平洋は縮んでソドムの湖となった」と一蹴している。

<おまけ③>
先ごろ翻訳されたポール・オースターの『ブルックリン・フォリーズ』には、『クラレル』についての博士論文を書こうとして結局書けなかったという主人公の甥が登場する。その箇所には、'Clarel --- Melville's gargantuan and unreadable epic poem' (p. 27) と書かれている。'unreadable' という評価が一般的な見方であることの1つの証。
[PR]

by anglophile | 2012-06-12 17:43 | 読書 | Comments(0)


<< Justin Heathcli...      サッカーとか古本とか冷泉家とか >>