2010年 12月 05日
ひねもす読書
明日からの多忙を極めるだろう1週間に備えて、家でゴロゴロする。

堀江敏幸『河岸忘日抄』読了。3週間かかった。なんとなく新潮文庫の刊行順に読み始めたのだが、『いつか王子駅で』や『雪沼とその周辺』とちがって、語りがより思弁的になっているのでぐいぐい読み進むというわけにはいかなかったが、一方で「待機」や「ためらい」といったモチーフについて語られる部分は深く共感することが多かった。
 たとえばこれが一篇の物語なら、いま、彼のなかでなにかが終わり、なにかがはじまろうとしていた、と簡単に書き記すことができるだろう。残念ながら、彼の脳裡にそのような意味での起承転結が組み立てられる余地はなかった。心の内爆は、いつかまた起こる。そして、起きたら起きたで、ふたたびそれを鎮めることもできるだろう。彼のなかに住んでいるジャックは、豆の木の頂上までのぼりつめ、鬼もなにもいないただの雲を垣間見ただけで、さっさと舞い戻ってくるにちがいないのだ。高い高い目的地の一角に手を触れてすぐ戻ってくるこの往復こそがたぶん日々を送ることであり、日々を重ねることだからである。終わりはない。そして、はじまりもない。あるのは酸っぱくて舌を縮ませるスグリの果実がみのるまでの、ながく単調な、そしてかけがえのない持続だけである。大家の死をなにか大きな区切りのように見なしてしまえば、微妙な往還運動がそこで止まってしまうのだ。(388-389頁)


ところで、今朝の朝日新聞の読書欄に、龜鳴屋さんの『したむきな人々 ~近代小説の落伍者たち~』が紹介されていて、おおっ!と声を上げる。購入済みなのに、まだ読んでないのが情けない。そんなことを考えていたら、この前お会いしたときにお話を聞いた伊藤人譽『人譽幻談 幻の猫』が気になって、さっそく「髪」を読み始めてみたのだった。
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by anglophile | 2010-12-05 17:57 | 読書 | Comments(0)


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