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古本万歩計 Of what is lost, all I wish to recover is the daily availability of my writing, lines capable of grasping me by the hair and lifting me up when I'm at the end of my strength. - Roberto Bolano

堀江敏幸 『いつか王子駅で』(2)

堀江敏幸『いつか王子駅で』読了。印象に残った文章をいくつかメモしておこう。
プッシュ回線が主流となって以来、黒電話は一部の役所の内線などを除いて着実に姿を消しているが、まるい穴に人差し指か中指を入れてじりじりとダイヤルを回していくあの感触や、急いでかけようとして穴から指を離すタイミングを逸した瞬間、存外強い力で引き戻される円盤に爪をひっかけ、自転車を習いたてのころ踏みそこねたペダルが臑(すね)に当たったときみたいに理不尽なほどの痛みを覚えた記憶の喪失を嘆く人々がいるとしたら、まちがいなく私もそのひとりだった。(83頁)
日々の暮らしのなかで、私の足首はうまく機能しているだろうか?いくらパドックで馬の足首を観察しても、それで自分の足首が強くなるわけではない。阿武隈さんの言葉と正吉さんの言葉が重なって胸を締めつける。本当の足首でなくともいい、たとえば生き方を左右するような思考の足首が、私に備わっているだろうか?(130頁)
いつもと変わらないでいるってのはな、そう大儀なことじゃあないんだ、変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送るのが難しいんでな、と正吉さんはピース缶を手によくつぶやいていた。(156頁)
それにしても「正吉さん」はカステラを置いてどこへ行ったのだろうか?と、きっと問うてはダメなのだろうなあ。

この前触れた島村利正のほかに、瀧井孝作、徳田秋声、安岡章太郎らの文章も引用されていた。それらは一見唐突に引用されるように見えるが、著者の手によって見事に物語中に溶け込んでいく。見事というほかない。文芸批評としてもなかなかのものではないだろうか。そういう意味では、去年平凡社ライブラリーに入った『書かれる手』も気になるところだ。あと、この人が編集した短篇アンソロジーがあったら、読んでみたいなあ。どんな作家が取り上げられるのか興味がある。

次は『雪沼とその周辺』(新潮文庫)を読むことにしよう。
by anglophile | 2010-11-10 20:54 | 読書 | Comments(0)