2010年 11月 08日
堀江敏幸 『いつか王子駅で』(1)
堀江敏幸の『いつか王子駅で』(新潮文庫)を何気なく読み始めた。これがなかなかいい。まだ最初の方だが、心に響いた箇所を書き留めておこう。主人公である「私」が知り合いの古本屋から島村利正の『残菊抄』を買い求め、その感想を綴る場面。「私」は、『残菊抄』所収の「暁雲」という短篇小説の主人公篠吉の心の動きを読み取り、あわせて自分の日々の過ごし方について思いを馳せていく。こんな文章だ。
夫婦になってずいぶんな時間を過ごしてからはじめて抱いた幼い恋にも等しい感情が、なんとはない呼吸で屈折してゆく言葉の撚糸を通してこちらの胸を衝き、「ほのかな狼狽」を走らせずにおかない。ときどき外国の本を取り寄せて活字を追ったりする者として、いま篠吉の心中にひろがりつつある震えを捕まえてくれるような言葉にはなかなか出会えないなと嘆息したくなる半面、いやそんなはずはない、新鮮な狼狽を現実に味わうのでなく言葉で伝えるにはどう生きたらいいのかを思いめぐらす文学は、国を問わずどこにだってあるのではないかとの想いもつのる。もちろん探して簡単に見つかるものなら苦労はいらないだろうが、退屈な日常をいかに反復すべきかをみずからに問いかけるとき、都電沿いを歩いたり荒川べりで野球を観たり図書館でひがな一日本を読んだり王子にモノレールを招致しようなんぞという埒もない空想にかまけたりしながらも、畢竟、こうした「子供心に似たほのかな狼狽」を日々感じうるか否かに、大袈裟だが人生のすべてがかかっているとも思うのだ。そのためには、目の前を流れていく光景に、刻々と更新される哀惜をもって接しなければならないはずなのだが、そういう当たり前といえば当たり前の努力を私はしているだろうか。ただでさえ想像力に乏しい頭を補う眼を養っているだろうか。島村利正の短篇を読み継いでいると、移動を義務づけられながらもじっと一所にたたずむ術を心得た駄馬のような視線にたいする憧憬を感じないではいられない。(41~2頁)
この文章を読んだら、名前しか知らない島村利正の小説を読んでみたくもなる。うーん、それにしてもすごい文章だ。その余韻がなかなか去らず、しばらくその先を読み進められなかった。
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by anglophile | 2010-11-08 01:24 | 読書 | Comments(0)


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