2010年 07月 21日
フリオ・コルタサルの短篇
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アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルは私にとって最も印象深い外国人作家のひとりだ。というのも、イギリスにいた頃、この作家に傾倒しているスペイン人の友人がいて、よくその名前を聞かされていたからだ。コルタサルはエドガー・アラン・ポーをスペイン語に訳していたという理由で、この友人は修士論文にポーを選んだくらいだった。以来、コルタサルの邦訳本は見かければ買うようにしている。(とはいえ、あまり見かけないが)

コルタサルのことを思い出したのは、ふくろう男さんのブログ「キリキリソテーにうってつけの日」でその短篇が紹介されていたからだ。この日のブログには、今月出たばかりの『世界文学全集 短篇コレクション1』(河出書房新社)が取り上げられており、ふくろう男さんの評価付きで一篇一篇が丁寧に紹介されている。一番最初に収められているのが、コルタサルの短篇「南部高速道路」だった。これは岩波文庫の『コルタサル短篇集 悪魔の涎・追い求める男 他八篇』にも収められている。未読だったのでさっそく読んでみた。

話は、パリへと向かう高速道路で、現実ではありえないような大渋滞が発生し、そこに居合わせた人たちの何日(この設定自体がシュール!)にもわたる人間模様を淡々と描いたもの。登場人物たちは本名も明かされず、ただ「技師」とか「兵隊」とか、また乗っている車の車種が名前代わりに使われている。後半、やっとのことで渋滞が解消され、車の流れが動き出す。しかし一方で、お互いに助け合い、一種の運命共同体を築き始めていたドライバーたちは、いったん動き始めた車の流れに抗うことはもはやできず、いつしかばらばらになって行く。なかなか切ない結末である。

おもしろかった文章をいくつか書き留めておこう。
技師は五十メートルばかり進んだはずだと考えた。けれども、おもちゃの車を握っている男の子の手を引いてやってきたタウナスの男の一人がそれを聞いて、ぽつんと立っているプラタナスの木のほうを皮肉っぽく指し示した。ドーフィヌの若い娘が、そう言えばあの木はずっとわたしの車の横に立っていたわ、これだけ渋滞が続くと時計を見るのもいやになるわねとこぼした。
とか
走行メーターの右端の数字が金魚の糞みたいにいつまでもくっついていますが、あれが下にカチャッと落ちてくれたら、きっと胸のつかえがおりますよ。(中略)技師がなにげなく走行メーターに目をやると、右端の6という数字の下半分が消えて、上から7が顔をのぞかせていた。
こういう描写は何度読んでもいいなあとおもう。
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by anglophile | 2010-07-21 21:50 | 読書 | Comments(0)


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