タグ:ロベルト・ボラーニョ ( 18 ) タグの人気記事

2016年 08月 23日
福井遠征
そろそろボラーニョ『第三帝国』に手をつけますか。だけど県内には入荷してなさそう。なので、昨日は在庫があるらしい福井の勝木書店本店(北陸随一の品揃えを誇る)まで行ってきた。下心があるから、往復200kmが全然苦じゃない。

福井駅前。書店前の駐車スペースに車を止め、小走りで入店。2分で目的の本を見つけ精算。そして退店。ほんとはもっと店内を見たいのだけど、あんまり長く駐車しておけないのでしかたなし。このあと、せっかくですから福井市内のブックオフをまわることに。市内には4店舗あるが、山側のほうにある大型店(店舗名がおぼえられない)に筋のいい文庫が大量に並んでいて大興奮。だけども、値付けがフザケているのであれもこれも買ったりはしない。ドラゴン、怒りの厳選。

・日下三蔵編 『怪奇探偵小説名作選(1) 小酒井不木集 恋愛曲線』 (ちくま文庫) 1010円
・日下三蔵編 『怪奇探偵小説名作選(3) 水谷準集 お・それ・みを』 (ちくま文庫) 1010円
・伊藤秀雄編 『明治探偵冒険小説集(2) 快楽亭ブラック集』 (ちくま文庫) 510円
・伊藤秀雄編 『明治探偵冒険小説集(3) 押川春浪集』 (ちくま文庫) 1010円
・ジュール・ヴェルヌ 『詳注版 月世界旅行』 (ちくま文庫) 960円
・飛鳥部勝則 『殉教カテリナ車輪』 (東京創元社) 360円
・星野道夫 『表現者』 (スイッチ・パブリッシング) 500円

いろいろ反省点はあるもののまあまあの収穫である。

[PR]

by anglophile | 2016-08-23 18:38 | 古本県外遠征 | Comments(0)
2016年 07月 31日
小松のブックオフにて
まだ手に入れてないが、ボラーニョ・コレクションの新刊『第三帝国』が発売されたみたい。で、入荷状況を確認しようと地元K書店のHPを見たら、なぜか書名ではヒットせず。作家名で検索してやっと見つけられたが、よく見ると「大三帝国」で登録されているではないか。こういう入力ミスは困るでやんす。ちなみに、地元の支店は「在庫なし」ということだったので手にできるまでにはまだ時間がかかりそう。この長編は作家の死後遺品から発見されたもので、すでに4年前に英訳がニュー・ディレクションズから出ている。タイトルを見てまたナチスの話かよ、と思ったら、なんか戦争シュミレーションのボードゲームがもとになっているらしい。ボードゲームかよ、と興味津々です。ま、気長に待つことにして、今週は小松のブックオフなどに足を運んだりした。

・皆川博子 『アルモニカ・ディアボリカ』 (ハヤカワ文庫)
・R・ブラッドベリ他 『筋肉男のハロウィーン 13の恐怖とエロスの物語Ⅱ』 (文春文庫)
・連城三紀彦 『変調二人羽織』 (講談社文庫)
・日影丈吉 『幻想博物誌』 (講談社文庫)
・三浦哲郎 『拳銃と十五の短篇』 (講談社文芸文庫)
・エラリー・クイーン編 『犯罪は詩人の楽しみ』 (創元推理文庫)
・ブルース・チャトウィン 『どうして僕はこんなところに』 (角川文庫)
・ブルース・チャトウィン 『ソングライン』 (英知出版) ¥1960
・飛鳥部勝則 『冬のスフィンクス』 (東京創元社) ¥200

よさげな文庫が108円だったので私の中のブックオフ支持率が急上昇しかけたが、『ソングライン』の値段を見てむしろ急降下。なんねんて、と憤慨しつつも買うたったけどな。「迷ったら買え」がある一方で、「迷った末に買ってもまだ迷っている」というパターンもあり。連城の『変調二人羽織』を読み始めた。
[PR]

by anglophile | 2016-07-31 19:19 | 古本 | Comments(0)
2016年 02月 14日
Narrative Gems 003: Roberto Bolaño, '2666'
The first time that Jean-Claude Pelletier read Benno von Archimboldi was Christmas 1980, in Paris, when he was nineteen years old and studying German literature. The book in question was D'Arsonval. The young Pelletier didn't realize at the time that the novel was part of trilogy (made up of the English-themed The Garden and the Polish-themed The Leather Mask, together with the clearly French-themed D'Arsonval), but this ignorance or lapse or bibliographical lacuna, attributable only to his extreme youth, did nothing to diminish the wonder and admiration that the novel stirred in him.

From that day on (or from the early morning hours when he concluded his maiden reading) he became an enthusiastic Archimboldian and set out on a quest to find more works by the author. This was no easy task. Getting hold of books by Benno von Archimboldi in the 1980s, even in Paris, was an effort not lacking in all kinds of difficulties. Almost no reference to Archimboldi could be found in the university's German department. Pelletier's professors had never heard of him. One said he thought he recognized the name. Ten minutes later, to Pelletier's outrage (and horror), he realized that the person his professor had in mind was the Italian painter, regarding whom he soon revealed himself to equally ignorant.

Pelletier wrote to the Hamburg publishing house that had published D'Arsonval and received no response. He also scoured the few German bookstores he could find in Paris. The name Archimboldi appeared in a dictionary of German literature and in a Belgian magazine devoted --- whether as a joke or seriously, he never knew --- to the literature of Prussia. In 1981, he made a trip to Bavaria with three friends from the German department, and there, in a little bookstore in Munich, on Voralmstrasse, he found two other books: the slim volume titled Mitzi's Treasure, less than one hundred pages long, and the aforementioned English novel, The Garden.

Reading these two novels only reinforced the opinion he'd already formed of Archimboldi. In 1983, at the age of twenty-two, he undertook the task of translating D'Arsonval. No one asked him to do it. At the time, there was no French publishing house interested in publishing the German author with the funny name. Essentially, Pelletier set out to translate the book because he liked it, and because he enjoyed the work, although it also occurred to him that he could submit translation, prefaced with a study of the Archimboldi oeuvre, as his thesis, and --- why not? --- as the foundation of his future dissertation.

He completed the final draft of the translation in 1984, and a Paris publishing house, after some inconclusive and contradictory readings, accepted it and published Archimboldi. Though the novel seemed destined from the start not to sell more than a thousand copies, the first printing of three thousand was exhausted after a couple of contradictory, positive, even effusive reviews, opening the door for the second, third, and fourth printings.

By then Pelletier had read fifteen books by the German writer, translated two others, and was regarded almost universally as the preeminent authority on Benno von Archimboldi across the length and breadth of France.
[PR]

by anglophile | 2016-02-14 23:38 | Narrative Gems | Comments(0)
2016年 02月 04日
ボラーニョ・コレクション
注文していたボラーニョの『通話』(白水社)が届いた。無論、改訳版である。これは出たときに書店では見つけられなかった一冊。その後も目にすることはなく、ここらでとりあえず買っておこうと思って、なじみの本屋に注文しておいたのだ。最初の数編は英訳版の短編集で読んだ。ボラーニョと言えば、5年前に買ったエッセイ集 Between Parentheses: Essays, Articles and Speeches, 1998-2003 が行方不明。段ボールのどれかに入っているはずなんだが見つからない、見つけられない。途方に暮れたのでブックオフに行こうかと思ったが今日はやめた。
[PR]

by anglophile | 2016-02-04 23:38 | 読書 | Comments(0)
2014年 04月 13日
最近の本棚
c0213681_020590.jpg

ここ最近買った古本と新刊を棚に並べてみる。ネットで6冊、ブックオフで7冊、書店で2冊という内訳。『マクシマス詩篇』はアマゾンのマケプレで定価の8割引きで出ていたので思わず購入。読むのがいつになるのかわからないが、訳者のあとがきを読むと熱い気持ちが伝わってくる。『山上の蜘蛛』と『窓の微風』は林哲夫さんのブログでずっと前に紹介されていた本。貴重な詩誌の書影がたくさん載っていて圧倒される。そういえばバイマンスリー雑誌『アイデア』の最新号は北園克衛特集だ。明日にでも買いに行こう。大滝詠一本は大桑で衝動買い。20冊くらい山積みになっていて、1週間後に行ってもまだ山積みだった。クノーの『文体練習』を大笑いしながら読むのは楽しい。きれいな状態なのにブックオフで108円だったので楽しさは2倍。ゼイディー・スミスの『ホワイト・ティース』も108円でうれしい収穫だった。『鼻持ちならないガウチョ』は白水社のボラーニョ・コレクション第2弾。作家の死直前の短篇集。第1弾の『売女の人殺し』は読者を選ぶと思ったが、こちらはまだ読みやすい方かもしれない。「アルバロ・ルーセロットの旅」が一番好きだったかな。とはいえ、ボラーニョ入門としてこれらの短篇集が最適かどうかはわからない。個人的には、『2666』や『野生の探偵たち』から入って正解だったと思っている。以下省略。

ところで、今月から北陸でも一箱古本市が始まる。1週間後に金沢で、さらに1週間後には富山で開かれる。去年は日曜日に仕事が入ったりしてスケジュールが思うようにならなかったが、新年度は幸いにも融通が利くような感じになったので、迷うことなく両方とも参加申し込みをした。
[PR]

by anglophile | 2014-04-13 01:28 | 古本 | Comments(0)
2012年 10月 31日
紀伊國屋書店~オヨヨ書林せせらぎ通り店
昨日、片町で飲み会があった。一九時開始だったので、慣例にしたがって、ちょっと早めに香林坊に行き、大和内の紀伊國屋書店を偵察することにする。どうやら『2666』が入荷しているらしいのだ。あまり訪れる機会がないのだが、数ヶ月前だったかに行ったとき、本棚の整理なのかなんなのか、文庫本がすごく少なくなっていたことがあった。それを見て、こちらは勝手に、あらら、なんか売り場を縮小しているのか、ああ残念、と思ったのだが、それは勘違いだったらしい。行ってみると、売り場が少し横へ移動し、さらに面積が以前の約2倍になっていた。思いこみはいけませんねえ。本の品数自体はさほど変わっていないようだったが、以前よりも全体のスペースにゆとりができていた。

さっそく『2666』をひと目拝もうと海外文学の棚に行ってみるが、見あたらない。そのかわり国書刊行会フェアを小規模ながらもやっていて、普通の本屋では見ることのできない分厚い本や大型本を見ることができた。無料配布の『国書刊行会 図書目録 2012』と『新編 バベルの図書館』のパンフレットがあったのでありがたく頂戴する。これらを手に入れられただけでも、来た甲斐があった。ささやかな喜びである。さて、『2666』だが、どう見ても外国文学棚にない。しかたがないので、レジにいた店員に訊ねてみた。すると、新刊棚にあったらしく、わざわざ持ってきてくれた。分厚い本はビニールにくるまれていた。それを外してもらってから、ぱらぱらと中身を確認する。本文は二段組になっているのだなあ。本文と訳者あとがきの冒頭に目を通した。ボラーニョの魅力を伝えるなかなかいい解説だと思った。この流れで行けば、本当は買うべきだったが、生憎雨が降りそうだったので今回は見送ることに。気持に余裕ができたときに買うことにしよう。その他、小冊子の『scripta』(紀伊國屋書店)と『星星峡』(幻冬舎)も1部ずつもらってきた。後者には、東浩紀の短篇「マーメイド・イニシエーション」が載っている。あと、編集後記に小沼丹の『白孔雀のいるホテル』のことが書かれていたので、なんか得した気分になった。

このあとまだ時間があったので、久しぶりにオヨヨ書林せせらぎ通り店へ。中に入っていくと、せせらぎさんがいらっしゃりご挨拶。今週末に開かれる『Coyote』復刊記念イベントの話をちょっとだけ伺う。まだ空きがあるそうで、どうしようか迷う。気持に余裕があったら行ってみたいと思うが、まだちょっと迷っている。こちらでは野坂昭如『妄想の軌跡』(旺文社文庫)を買った。

二二時頃、飲み会が終わって外に出ると、ざあざあの雨が降っていた。
[PR]

by anglophile | 2012-10-31 23:23 | 古本 | Comments(0)
2012年 09月 28日
9月後半の古本と読書
<9月18日(火)>
ネットで衝動的に注文したジョージ秋山『ばらの坂道(上)(下)』(青林工藝舎)が届いた。「ジョージ秋山捨てがたき選集」という秀逸なネーミングのシリーズからの2冊上下本。上巻に付されている呉智英の解説がなかなかいい。一方、ジョージ秋山へのインタビューも載っていて、こちらは解説の真面目なトーンとは対照的に、軽妙でおもしろい。夜、テレビを見ていたら、『アシュラ』がアニメ映画化されたことを知った。今月末公開らしい。ほほーっと思った。

<9月22日(土)>
野々市のブックオフで村上春樹『1Q84 BOOK2』『1Q84 BOOK3』(新潮社)を各105円で。妻用。このまえBOOK1を入手した。ようやく105円棚に降りてきた。

<9月23日(日)>
本日もブックオフへ。イシュメール・リード『マンボ・ジャンボ』(国書刊行会)マヌエル・プイグ『南国に日は落ちて』(集英社)ドリス・レッシング『夕映えの道』(同)トニ・モリスン『ラヴ』『パラダイス』(早川書房)ガブリエル・ガルシア=マルケス『誘拐』(角川春樹事務所)ロアルド・ダール『へそまがり昔ばなし』『こわいい動物』(評論社)菊地信義『装幀談義』(筑摩書房)新元良一『アメリカン・チョイス』(文藝春秋)が各105円。105円ならついつい手が出てしまう本ばかりで困った。いや、ほんとはうれしかった。ところで、いろんな作家名が頭の中でごちゃごちゃになるが、イシュメール・リードとE.L.ドクトロウもどっちがどっちかわからなくなる組み合わせのひとつ。105円以外では、川村湊編『現代アイヌ文学作品選』(講談社文芸文庫)200円、海野弘『スキャンダルの歴史』(文春文庫)275円、垂水千賀子『行く、脳髄』(紫陽社)800円を買う。夜、古本でいっぱいになっていた頭の中に少し隙間ができて、すっかり忘れていた大相撲のことを思い出した。YouTubeで千秋楽結びの一番を見る。すごい大相撲。連続全勝優勝というのはすごいなあ。

<9月24日(月)>
読みかけのままにしてあった常盤新平『銀座旅日記』(ちくま文庫)を読了。『ニューヨーカー』を購読してみたくなった。さっそくあちらのHPをのぞいてみたら、年間120ドル(47冊分)で購読できるようだ。1冊200円ぐらいだと考えればすごく安い。が、毎週届くというのはしんどいペースだな。月刊くらいがちょうどいいのかもしれない。もう少し購読する強いきっかけがほしいところ。好きな作家が頻繁に寄稿しているとか。そういえば、ジャンパ・ラヒリの短篇も『ニューヨーカー』に掲載されていたはずだと思い、彼女の傑作短篇集『見知らぬ場所』のペーパーバックを調べてみたら、8つある短篇のうち、4つが『ニューヨーカー』に載ったものであることがわかった。早く彼女の新しい作品を読んでみたいものだ。ちなみに、サイト内で彼女の名前を検索してみたら、無料で読めるエッセイがいくつかあったのでプリントアウトして読んでみた。(ちゃんと印刷できるようになっているところがすごい!) 'Trading Stories: Notes from an apprenticeship' というエッセイで、生い立ちからの読書遍歴、そして作家になるにいたった経緯を回想している。知的な文章にうっとりとなる。

<9月25日(火)>
今日はグールド生誕80年目にあたる日。『ニューヨーカー』のHPにリチャード・ブロディという人が記事を書いていた。最初の1段落を引用する。
Today would have been Glenn Gould’s eightieth birthday. He was a true musical genius—not just a talented performer but also a great musical intellectual. He was an important aesthetic philosopher whose ideas regarding recording get to the heart of cultural modernity who also, miraculously, had the technique with which to reproduce in sound his ideas. He had a mercurial career, rising to celebrity in 1955, at the age of twenty-three, with his American début recording, of Bach’s Goldberg Variations—yet, as so often happens when geniuses become popular, he won his fame under something of a misunderstanding. ('Glenn Goud at Eighty')
最後の「ある誤解が元で彼は名声を得た」とある「誤解」がどんな誤解だったのか、そのあとを読んでもよくわからなかったのは私だけ?

<9月26日(水)>
『Coyote』の復刊号を書店で立ち読み。復刊したことよりも、休刊していたのを知らなかった。買うまでには至らなかった。

<9月27日(木)>
仕事が立て込んできて大童。気分転換しようと、仕事帰りに少々遠回りしてみたら、大収穫が待っていた!

c0213681_2332285.jpg

某所に入っていくと、なんとジョージ秋山の古いコミックがごっそりあるのを発見し、大興奮。『花のよたろう②~⑮』(秋田書店)『ザ・ムーン①~⑥』(朝日ソノラマ)『日本列島蝦蟇蛙』(講談社)『アシュラ(上)(下)』(立風書房)『ばらの坂道1~3』(汐文社)。各65円。すべて初版。状態は経年を考えればまずまずといったところ。でも、カバーに破れがあるものもあったので、もしかしたら廃棄処分になっていたかもしれない。千載一遇とはこのことよ。『花のよたろう』はなぜか第1巻が欠。ちなみに、第1巻と第2巻のタイトルは『よたろう』なのね。『ザ・ムーン』は小学館文庫で出た時、なんとなく買いそびれていた。『アシュラ』は立風書房版。上巻のビニールカバーは欠けているが、下巻にはビニールカバーだけでなく帯も付いている。そして、なんといっても『ばらの坂道』。この元版はプレミア価格がついていて、とても買えたものではない。だからと、このまえ青林工藝舎版を購入したのだけれど、こんなに間髪入れずにその元版と出会えるとは想像もしていなかった。こんなことって滅多にないので、帰り道は夢心地だった。ずっと読みたかった『ザ・ムーン』を近々読むことにしよう。

<9月28日(金)>
今日はボラーニョの『2666』(白水社)の発売日。でも、まだ書店にはなかった。石川県に入るのは明日か明後日ぐらいかな。買おうかどうか迷っている。

c0213681_22146.jpg

ところで、日曜日は一箱古本市@源法院の日。うまく時間が取れたので、参加することにした。天気はどうなの?
[PR]

by anglophile | 2012-09-28 21:14 | 古本 | Comments(2)
2012年 07月 05日
ベルリン・アレクサンダー広場
c0213681_22584640.jpg

アルフレート・デーブリーンの名を知ったのは、ロベルト・ボラーニョの『2666』を読んだときだった。重要な登場人物であるドイツ人作家アルチンボルディがデーブリーンの著作を読み漁ったという記述が出てくる。なんとなく興味を惹かれて、日本語に訳されている作品があるのか確認してみたら、代表作であるらしいこの『ベルリン・アレクサンダー広場』がずいぶん昔に訳されていることを知った。が、その旧版の価格はとんでもないことになっていてとてもじゃないが手を出せない。なので、しばらく前に、この大作が復刊されると知ってから、心待ちにしていた。40年ぶりの復刊ということになるらしい。

訳者の早崎守俊氏の「解説」より。
 本訳著は河出書房新社のシリーズ、モダン・クラシックスのひとつとして、一九七一年に上下二巻で出版されたものの改訂版であるが、改訂にあたってはいくつかの訳のあやまりの訂正のほか若干の表現の不具合いを正しただけにとどめた。したがってこんにちからみれば多少違和感のある差別的用語がみうけられるかもしれないが、この小説がもともと一九二八年のベルリンの裏街社会に住まう人びとの物語、語られている言葉はすべてベルリン方言で、とりわけ卑語も多用されていることなどを勘案して読んでいただきたい。(548頁)

まだ全然読める状況にないので、目の前に置いて眺めているだけ。カバーをとったら角背なのだ。かっこいいなあ。新潮社のピンチョン全集も角背で、雰囲気が似ているかもしれない。

c0213681_22355862.jpg

なんとかこの夏の間に読みたいと思っているのだが...
[PR]

by anglophile | 2012-07-05 23:47 | 読書 | Comments(0)
2012年 06月 09日
21世紀の世界文学30冊を読む/英米小説最前線
最近は古本のプロポーションがやや減少気味だが、一方で先月後半から今月後半にかけて、個人的に注目している新刊、再刊、復刊が目白押しで、本屋に行くことばかり考える生活が続いている。それもまたよろし。

新刊で買ったうちの1冊が、都甲幸治『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)である。著者はアメリカ文学研究者で、柴田元幸氏の弟子筋にあたる人。『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』などを訳したり(共訳)している。都甲氏がどんな感じの人なのかあまりよく知らなかったのだが、YouTubeに上げられていたジュンク堂池袋店で今年初めに行われた作家のいしいしんじ氏とのトークセッション「越境する作家たち」をしばらく前に見て、なんか人の良さそうなお兄ちゃんといったような感じの人だったので好感を持ったのだった。ちなみに、このセッションはものすごく面白いです!

c0213681_2235254.jpg

さて、都甲氏の本は2008~2011年に『新潮』に連載されていた「生き延びるためのアメリカ文学」がもとになっている。この連載は「世界同時文学を読む」と名前を変えて現在も続いている。内容は、21世紀になってから出版された未邦訳の海外作品を紹介するというもの。書名にあるとおり、全部で28作家30冊の小説が取り上げられている。知らない作家が半分ぐらいいるので今後の指針の1つとして役立てたいと思う。基本的に英語で書かれた作品が挙げられているのだけれど、あえて「世界文学」と謳っているのは、アメリカなどの英語圏に移り住んでやがて英語で書くようになった他国生まれの「移民作家」が含まれるからだろう。唯一英語で書いていない作家としてロベルト・ボラーニョが入っていて、Nazi Literature in the Americas が紹介されている。ほんとのことを言うと、この本を買おうか迷ったのだけれど、ボラーニョのことが書かれていたので購入を決めた次第。
 今アメリカ合衆国で最も話題の作家と言えばもちろん、ロベルト・ボラーニョである。そんなのおかしいではないか、とあなたは思うかもしれない。チリで生まれ、メキシコで育ち、スペインで没したボラーニョ、しかもスペイン語で書かれた作品しかない彼が、なぜそれほどまでに合衆国で読まれているのか。しかも二〇〇三年には既に亡くなっているのに、と。答えは単純である。どの作品もずば抜けて面白いからだ。ボラーニョの作品を読めば、我々が今まで中南米文学に対して抱いていたイメージは粉々に砕けてしまうだろう。ボルヘスなど中南米文学の最良の部分をきちんと消化したうえで、これほど現代的な作品を書いている作家がいたのか。当たり前である。あのラテンアメリカ文学のブーム以来、僕らは何十年ものあいだ中南米の偉大な作家のリストを書き換えずに来た。そのせいで刺激的な文学との出会いをどれほど逃してきたことだろう。(141頁)
私も全部把握していないのだが、ボラーニョが亡くなったあと、遺品の中から大量の未発表原稿が出てきたらしく、それらが少しずつ日の目を見るようになって、それにあわせて英訳のほうも順次出版されている。日本ではボラーニョはまだ2冊しか訳されていないが、これからどんどん訳されていくことだろう。この Nazi Literature in the Americas は題名が恐そうなのでまだ買っていなかったが、都甲氏の紹介文を読んでぜひ読んでみたくなった。

各文芸誌の最新号が今週発売されているが、『新潮』7月号には都甲氏の本が発売されたのに合わせて柴田元幸氏との対談「世界文学はアメリカ文学である」が載っている。師弟対談ということで面白く読んだ。実は、未邦訳の海外作品を紹介するという連載は師匠の柴田氏も2007年から『ENGLISH JOURNAL』という語学月刊誌でやっている。連載のタイトルは「英米文学最前線」となっていて、「世界の最先端をいく小説の一節と、柴田先生のみごとな翻訳、そして書評と、1粒で3つの味が楽しめ」るようになっている。膨大な量の英米作品に接しているはずの柴田氏の読書生活の一端がうかがえてとても興味深い。「こんなの、読んでるんだ!」と、その読書の幅の広さにも毎回驚かされている。

で、最新7月号(表紙はメリル・ストリープ)を何気なくチェックしてみたら、「おおっ!」と思わず興奮の声をあげてしまった。なんとボラーニョの 2666 が取り上げられているではないか! なんか、あっちとこっちが結びついていたのでびっくりしてしまった。
 この人の小説を読んでいると、他人の悪い夢にまぎれ込んだらこんな感じだろうなあ、と思うことがよくある。夜更けに知らない町の怪しげな区域に行って、どこか邪悪な人間に出会い、夜が明けたときには何かが確実に損なわれている---そんな展開がくり返し現れる。
 しかも、ありていに言って、最後まで読んでも、「結局、何の話かよくわからなかった」と思うことが多い。にもかかわらず、読まされてしまう。それも、短篇のみならず長篇でも「何の話かよくわからない」ことが多い。
 遺作となった、5部構成、898ページに及ぶ大作『2666』も、一番長い第4部(281ページ)で、メキシコの町に住む女性が次々に殺害されていく話など、まさに先の見えない他人の悪夢から抜け出せなくなったような思いに囚われながら読者は読み進める。
 (中略)プロットにとっては周縁的と思える無数の逸話、脱線すべてが、中心以上の存在感をもって自己を主張している。「何の話かよくわからない」ことの強みが、今回はいつも以上に生きている。そもそも書名の『2666』は何を意味するのか? 今後数十年、このタイトルの寓意をめぐって議論が戦わされることだろう。
もうこれ以上の的確な説明は考えられないと思う。正直なところ、2666 がどんな小説なのかと問われると、答えに窮してしまうのだが、「まあ、読んでごらん、面白いから」としか言えない。ところが、柴田氏はそれでいいんだと言ってくれているよう。やっと心の中のモヤモヤが晴れたような感じがする。

c0213681_2354939.jpg

[PR]

by anglophile | 2012-06-09 23:38 | 読書 | Comments(0)
2011年 01月 07日
Roberto Bolaño, "The Savage Detectives"(2)
Roberto Bolaño の The Savage Detectives 読了。650頁に2週間かかった。やっぱり1週間で読むのは今の私には不可能。でも、いいんです、それで。そんなことより、この小説が今年最初に読み終えた本だったことに満足している。思えば、一昨年末に超長編 2666 を読んだことで、この作家にさらに興味を持ち、本書を早々に取り寄せてあったのだが、結局積読のままにしてあった。それが、先月になって、注文していたバルガス=リョサの本が届くまでのあいだ、何か読むものをということで、なんとなくラテン・アメリカ文学つながりで手に取ることになったのだから、ある意味、バルガス=リョサのおかげだな、これは。逸脱の醍醐味、ここにあり。

以下、感想を思いつくままに箇条書きで記す。

・以前のエントリーで、本作は4部に分かれていると書いたかもしれないが、正しくは3部だった。第1部と第3部が本当はつながっているのだが、そのあいだにあえて、長い長い第2部が挿入される。越川芳明氏はこれを「ABA」のサンドイッチ型と呼んでいた。つまり時系列的には、第1部→第3部→第2部(AAB)となるのだが、それをあえて分断し「ABA」としているところにフィクションの何たるかが表れている。このようにすることで、本書を読み終えた後の余韻が、時系列的に読んだ場合よりも、倍増されるように私にはおもえた。そういう意味で、時系列的には第3部の後に放浪の旅に出たベラーノとリマの様子が断片的に伝えられる第2部こそが本書の核をなすといっていいだろう。とにかく、これだけの長編を書いたボラーニョのその恐るべきエネルギーに圧倒されるばかりである。ワシントン・ポストの書評の冒頭は、ボラーニョへの最大の賛辞で始まっている。
Not since Gabriel García Márquez, whose masterpiece, One Hundred Years of Solitude, turns 40 this year, has a Latin American redrawn the map of world literature so emphatically as Roberto Bolaño does with The Savage Detectives.
真に恐るべきは、このあとにさらに長い 2666 を書いたことだろうし、それだけに50歳の若さで亡くなったことが悔やまれる。越川氏も書いているが、もし生きていれば、ノーベル文学賞の最有力候補になっていたのは間違いないだろう。

・物語の終盤で、謎の詩人セサレア・ティナヘーロとかつて同僚だった人物の口から、かつてセサレアが「西暦2600年頃」という言葉を口にしていたことが語られる。これは明らかにボラーニョの遺作『2666』と関係がある数字である。

・第2部に登場する語り手は50人を超える(らしい)。1頁で終わるものもあれば、30頁近いものもある。特に、長いものは1つ1つが独立した短篇として読むことも可能だろう。後半のアフリカのエピソード(第2部の第25章)などは非常におもしろかった。一方、第20章の語り手はホセ・レンドイロという弁護士兼詩人なのだが、やたらラテン語の格言らしき言葉を引用するので、わけがわからなかった。もちろんその部分は飛ばし読みした。邦訳では、たぶんこの部分もちゃんと日本語に訳されているのだろうと想像する。

・ニューヨーク・タイムズの書評のなかに、本作の2人の主人公アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマは、未邦訳の小説 Amulet (英訳はあり)にも登場するらしい。さらに、ちょっと調べてみたら、この Amulet の語り手は、 The Savage Detectives の第2部にも登場したアウクシリオ・ラクチュールというウルグアイの詩人(女性)であることがわかった。これは興味深いなあ。覚えておこう。ボラーニョは、ある小説の中に出てきたマイナーな登場人物を、別の小説の主人公にするということをけっこうしているようだ。たしかに、本書で(たしか)2回その名前が触れられる謎の小説家アルチンボルディは、2666 の最重要人物である。

以上。さて、このあと、The War of the End of the World を読むのか、読まないのか。The answer is blowin' in the wind.
[PR]

by anglophile | 2011-01-07 03:45 | 読書 | Comments(0)