タグ:アメリカ文学 ( 17 ) タグの人気記事

2017年 05月 31日
ジャック・ヴァンス
先月の大漁の余韻に浸っていたらもう5月が終わりそう。今月は古本よりも読書が充実していた。しばらく前からちょっと気になっていて運よくせせらぎさんで買うことができたジャック・ヴァンスの『宇宙探偵マグナス・リドルフ』と『奇跡なす者たち』が無類の面白さで、SFに眼を開かせてくれたといっても過言ではない。『奇跡なす者たち』は国書刊行会の「未来の文学」シリーズの1冊で、まぎれもない傑作短編集。最後の3編、「奇跡なす者たち」、「月の蛾」、「最後の城」は再読必至である。

まだジャック・ヴァンス熱は冷めておらず、今は新刊で買ってきた『天界の眼 切れ者キューゲルの冒険』をつづけて読んでいる。さらには「ジャック・ヴァンス・トレジャリー」の最終第3巻『スペース・オペラ』もすでに手元に届いている。

さほど買ってはいないが、古本の記録もつけておく。せせらぎさんには先月以来行ってないが、まだ何冊かほしいSF書があったような気がしてちょっと気になってはいる。一方、新タテの方にはしばらく行ってなかったので、先日足を運んでみた。そこで川崎賢子『蘭の季節』(深夜叢書社)を1500円で購入。十蘭を読むようになって以来、ずっとほしかった本だった。本当は復刊されたばかりの『魔都』を再読したいのだけど、しばらくはジャック・ヴァンスを読み続けることになるだろう。
c0213681_16433737.jpg

[PR]

by anglophile | 2017-05-31 16:39 | 読書 | Comments(0)
2016年 02月 12日
Narrative Gems 002: Stuart Dybek, 'Pet Milk'
The train was braking a little from express speed, as it did each time it passed a local station. I could see blurred faces on the long wooden platform watching us pass --- businessmen glancing up from folded newspapers, women clutching purses and shopping bags. I could see the expression on each face, momentarily arrested, as we flashed by. A high school kid in shirt sleeves, maybe sixteen, with books tucked under one arm and a cigarette in his mouth, caught sight of us, and in the instant before he disappeared he grinned and started to wave. Then he was gone, and I turned from the window, back to Kate, forgetting everything --– the passing stations, the glowing late sky, even the sense of missing her –-- but that arrested wave stayed with me. It was as if I were standing on that platform, with my schoolbooks and a smoke, on one of those endlessly accumulated afternoons after school when I stood almost outside of time simply waiting for a train, and I thought how much I’d have loved seeing someone like us streaming by.
[PR]

by anglophile | 2016-02-12 23:38 | Narrative Gems | Comments(0)
2013年 06月 08日
棕櫚の葉を風にそよがせよ
c0213681_18344250.jpg

古本道に勤しんで6年ほど経つが、野呂邦暢の本は本当に見つからない。と嘆息していたら、文遊社から『野呂邦暢小説集成1 棕櫚の葉を風にそよがせよ』という美しい本が出た。当然、買いますね。

冒頭に収められている表題作「棕櫚の葉を風にそよがせよ」がすばらしい。時折挿入される風景描写、情景描写が利いている。巻末を見ると、この中篇は1968年の『文学界』6月号に掲載されたとある。後に単行本『鳥たちの河口』(文藝春秋)に収められた。集英社文庫にも入ったが、どちらも未所持。ところで、「棕櫚の葉を風にそよがせよ」という題名はオーウェルの『葉蘭をそよがせよ』を想起させるが如何に? しかし、オーウェルの小説は邦訳が1984年に出ていて、野呂は80年に亡くなっているから、このタイトルは知らなかったはず。それとも原書で読んでいたのか。だとしてもここまで題名が似ることはないだろうな。

この「棕櫚の葉を風にそよがせよ」を読んでいて気になる一節に出会った。以下引用。
 倉庫からセメントを出して一人で軽トラックに積みこんだ。おくれていたセメントがきのう着いたのだ。この配達をすませたらきょうの勤めが終る。バックミラーに映る物のかげは、輪郭がナイフで刻んだようにくっきりときわだち、色彩も鮮かになるようである。フロントグラスごしに眺める風景はひたすら平凡なのに凸面鏡に反射した世界は浩一の目をみはらせる。また何気なく車の上から振りむくとき、ありふれた街路のたたずまいがはっとするほど彫りの深い翳りを帯びる。無関心に通過した街並が彼の背後にうつるとたちまち異様に華やかな別世界に変貌してしまうようである。
 それは罠にかかっていた獣がばねをはずされた瞬間、満身の力をこめて踊りあがる姿態に似ている。浩一をやりすごすまでは何喰わぬ顔で仮面をかぶっていた世界が、いったん彼の後ろにまわると息をのむばかりに光彩陸離とした世界に変る。だから気づかれないようにすばやく振りかえることが肝腎なのだ。彼をやりすごしたと安心していっせいに身慄いし灰色の埃を払いおとす瞬間をねらって敏捷に首をひねらなければこの世界の本当の顔はのぞけない。しかし振りかえっても一、二秒後には見られたと悟った背後のものどもが正面の世界と同じうす汚れた砂埃に早くもおおわれて、かすかな胸の悪さをもよおさせ始める。もう目に映るのは白っぽい砂塵にまみれた合歓の木の並木がさあらぬていで夏の午後の生ぬるい風に揺れている光景ばかりだ。(45-6頁)
時折このように筆者の視点が登場人物の周囲の風景にフォーカスする。そのフォーカスの強度が尋常ではない。で、何が気になったかというと、この一節と非常によく似たことをホーソーンが書いているのである。
... the best way to get a vivid impression and feeling of a landscape, is to sit down before it and read, or become otherwise absorbed in thought; for then, when your eyes happen to be attracted to the landscape, you seem to catch Nature at unawares, and see her before she has time to change her aspect. The effect lasts but for a single instant, and passes away almost as soon as you are conscious of it; but it is real, for that moment. It is as if you could overhear and understand what the trees are whispering to one another; as if you caught a glimpse of a face unveiled, which veils itself from every wilful glance. The mystery is revealed, and after a breath or two, becomes just as much a mystery as before. (Twenty Days with Julian & Little Bunny, by Papa, p. 73)

...風景というものを鮮明に捉え感じるには、その前に腰を下ろし本を読む、または思索に没頭してみるとよい。というのも、何気ないふりをしてその風景にふと目をやると、そこに無防備になった自然の姿を見つけることができるからだ。そのとき自然はありのままの姿をさらしている。ところがその状態は一瞬のうちに変化し、こちらが見ていることを悟るや自然は姿を変えてしまう。惜しいかな、その一瞬は自然のまごうかたなき真の姿を捉えていた。まるで木々がお互いにささやき合っているのを盗み聞きしたかのよう。ベールの向こうから顔がちらりと見えた瞬間である。しかし意識して捉えようとする目にはその表情は決して見えない。神秘は明かされるが、こちらが息を呑んだ途端、またもとのベールに包まれてしまう。
これはホーソーンのエッセイを集めた、全集版で言えば、The American Notebooks という分厚い巻に入っている文章で、10年前に Twenty Days with Julian & Little Bunny, by Papa というタイトルで単行本化もされている。ホーソーンの小説は苦手だが、この手の随筆は嫌いではない。

アメリカ文学史の源泉に不動の地位を確保している作家の150年前の文章と、その本が手に入りづらい日本のある現代作家の文章との興味深い一致。
[PR]

by anglophile | 2013-06-08 18:26 | 読書 | Comments(0)
2013年 03月 11日
英米小説最前線リスト
・2007/05 Laird Hunt, The Exquisite (2006)
・2007/06 Matthew Shape, Jamestown (2007)
・2007/07 Atiq Rahimi, A Thousand Rooms of Dream and Fear (2006)
・2007/08 Lynne Tillman, American Genius, A Comedy (2006)
・2007/09 Colson Whitehead, The Intuitionist (2000)
・2007/10 Don Delillo, Falling Man (2007)
・2007/11 Howard Norman, The Museum Guard (1998)
・2007/12 Norman M. Klein, Freud in Coney Island and Other Tales (2006)
・2008/01 Kathryn Davis, The Third Place (2006)
・2008/02 Steve Erickson, Zeroville (2007)
・2008/03 Graham Rawle, Woman's World: a graphic novel (2005)
・2008/04 George Belden, Land of the Snow Men (2005)
・2008/05 Upton Sinclair, Oil! (1927)
・2008/06 Steven Millhauser, Dangerous Laughter: Thirteen Stories (2008)
・2008/07 Salvador Plascencia, The People of Paper (2005)
・2008/08 James T. Farrell, Dreaming Baseball (2007)
・2008/09 César Aira, An Episode in the Life of a Landscape Painter (2000, 2006)
・2008/10 Magnus Mills, Explorers of the New Century (2005)
・2008/11 Paul Auster, Man in the Dark (2008)
・2008/12 Philip Ó Ceallaigh, Notes from a Turkish Whorehouse (2006)
・2009/01 Linh Dinh, Jam Alerts (2007)
・2009/02 Ander Monson, Other Electricities (2005)
・2009/03 Félix Fénéon, Novels in Three Lines (2007)
・2009/04 Norman Lock, Trio (2005)
・2009/05 Rebecca Brown, The Last Time I Saw You (2006)
・2009/06 Siri Hustvedt, The Sorrows of an American (2008)
・2009/07 Brian Evenson, Last Days (2009)
・2009/08 David Eagleman, Sum: Forty Tales from the Afterlives (2009)
・2009/09 Kazuo Ishiguro, Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall (2009)
・2009/10 Philip Roth, Exit Ghost (2008)
・2009/11 Patrick McGrath, Trauma (2008)
・2009/12 Thomas Pynchon, Inherent Vice (2009)
・2010/01 Rebecca Brown, American Romances (2009)
・2010/02 Lydia Millet, How the Dead Dream (2008)
・2010/03 Samantha Hunt, The Invention of Everything Else (2008)
・2010/04 Andrew Losowsky, The Doorbells of Florence (2009)
・2010/05 
・2010/06 Jesse Ball, Samedi the Deafness (2007)
・2010/07 J. Robert Lennon, Pieces for the Left Hand (2005)
・2010/08 Padgett Powell, The Interrogative Mood (2009)
・2010/09 Megan Kelso, The Squirrel Mother (2006)
・2010/10 Laird Hunt, Ray of the Star (2009)
・2010/11 Terry Eagleton, The Meaning of Life (2007)
・2010/12 Richard Powers, Generosity (2009)
・2011/01 David Byrne, Bicycle Diaries (2009)
・2011/02 Matthew Sharpe, You Were Wrong (2010)
・2011/03 Linh Dinh, Love Like Hate (2010)
・2011/04 E. C. Osondu, Voice of America (2010)
・2011/05 Patrick Ouředník, Europeana (2001)
・2011/06 Grace Krilanovich, The Orange Eats Creeps (2010)
・2011/07 Shaun Tan, tales from outer suburbia (2008)
・2011/08 Joshua Beckman, Your Time Has Come (2004)
・2011/09 Russell Hoban, Linger Awhile (2006)
・2011/10 Robert Coover, Noir (2010)
・2011/11 David Mitchell, The Thousand Autumns of Jacob De Zoet (2010)
・2011/12 Rob Winger, Muybridge's Horse (2007)
・2012/01 Steven Millhauser, We Others: New and Selected Stories (2011)
・2012/02 Paul La Farge, Luminous Airplanes (2011)
・2012/03 Ben Lerner, Leaving the Atocha Station (2011)
・2012/04 Jonathan Safran Foer, Tree of Codes (2011)
・2012/05 Miranda July, It Chooses You (2011)
・2012/06 Jim Shepard, Master of Miniatures (2010)
・2012/07 Roberto Bolaño, 2666 (2004)
・2012/08 
・2012/09 Don DeLillo, The Angel Esmeralda (2012)
・2012/10 Tao Lin, Richard Yates (2010)
・2012/11 Steve Erickson, These Dreams of You (2012)
・2012/12 Brian Evenson, Windeye (2012)
・2013/01 Ry Cooder, Los Angeles Stories (2011)
・2013/02 Bao Phi, Sông I Sing (2012)
・2013/03 Laird Hunt, Kind One (2012)
・2013/04 Paul Auster, Winter Journal (2012)
[PR]

by anglophile | 2013-03-11 14:46 | 読書 | Comments(0)
2012年 06月 12日
クレバスに心せよ!
c0213681_22185259.jpg

アメリカ文学の最高峰を成す作品群を残したハーマン・メルヴィルが1891年に72歳で亡くなったとき、文芸誌のハーパーズ・マガジンに載った死亡記事はわずか2行、しかも年齢を1歳まちがえて伝えていた('September 27th. --- In New York City, Herman Melville, aged seventy-three years.')。また、かのニューヨーク・タイムズはメルヴィルのファースト・ネームを「ヘンリー」と誤記したとかしなかったとか。一方、かつての知人の中には、メルヴィルがとうの昔に亡くなっていると思っていた人もいたらしい。作家はすでに過去の人となっていた。

そんなメルヴィルの人生について、殊に作家としては不遇であったその後半生についてときどき考えることがある。1851年に発表された『白鯨』は当時の読者を戸惑わせたが、日本ではこれまでに翻訳が11種類出ており、そのことをメルヴィルが知ったらどう思うだろうか。いくつかの評伝を読むと、『白鯨』の出版に始まる1850年代初め以降、自作に対する相次ぐ酷評にメルヴィルはなかばヤケになっていたかのような印象を受ける。書きたいと思う作品を書けば書くだけ、読者からはますます遠ざかっていくという悪循環。長篇小説としては最後のものとなった『詐欺師』(The Confidence Man)は1857年に出版されたが、作品に対する評価はあいかわらずだった。しかし、かつて畏友ナサニエル・ホーソーンに宛てた手紙に、'It is better to fail in originality than to succeed in imitation.' (「模倣によって成功するよりも、未だ書かれたことのないものを書いて失敗することを選びたい」)という言葉で自身の作家としての態度を表明していたように、メルヴィルは時代に迎合することを最後まで拒んだのだった。家計は逼迫する一方だったが、メルヴィルは筆を折るどころか、執筆欲は増すばかり、『詐欺師』発表後は散文を離れ、徐々に詩作に向かうことになる。メルヴィル家では、執筆に没頭する主人の健康を心配するのが習慣となっていた。

後年、メルヴィルはいくつかの重要な短篇作品を書いたが、一方で少なからぬ詩作品を残している。例えば、1866年に発表した Battle-Pieces は南北戦争に想を得ているし、亡くなる数年前に私家版でごく少部数出版された John Marr and Other Sailors(1888年)は若き水夫時代のことを題材にしたものだった。しかし、最大のものといえば、1876年に刊行された長篇叙事詩『クラレル』(Clarel: A Poem and Pilgrimage in the Holy Land)であり、長さは18000行に及ぶ。長さだけを見れば、『マーディ』(1849年)や『白鯨』に比するといってもよい。研究者によれば、『クラレル』の執筆開始は1867年頃だったようだが、作品の着想自体は1856年から57年にかけて地中海を旅行したときに得ていたようで、そうなると構想から執筆、そして完成までの期間は実質20年ということになる。この長大な詩篇を日本語に翻訳した須山静夫は、この時期を「メルヴィルの魂の二〇年にわたる巡礼の足跡にほかならない」と表現している。

この世には長大さと難解さゆえに翻訳が困難とされる書物が少なくないと思うが、『クラレル』もその点においては引けをとらない。アメリカ文学研究者だった須山氏がこの鈍い光を放ち続ける結晶に一条の光を当てたのが1999年だった。その翻訳には15年あまりの歳月を費やしたという。版元は(もちろん)南雲堂。当時どれほどの書評が出たのかは知らない。メルヴィルの魂に共感する者の一人として、この詩篇には関心を持ち続けてきたが、素人の個人所有を拒むかのような値段設定にいまだ入手すらはたしていない。翻訳は1000頁近くあり、心地よいめまいをおぼえる。現在は絶版となり、手に入れるなら古書ということになるが、古本はぜひ105円で、と思ってばかりいる浅墓者に、そんな幸運はそうそう訪れない。県内のどの図書館にも入っていないようで、実のところ、実物を拝む機会すら訪れていない。

***

さて、先々月、いつも行く書店で、ふらっと外国文学棚の前を通ると、他とは少しちがう雰囲気を持った本が目に入ってきた。棚の限られたスペースになぜか面陳されていたその本は、吉夏社(きっかしゃ)という出版社から4月に刊行されたばかりの本だった。夏葉社なら知っているが、この版元は知らない。驚くべきは3冊も入荷していたことで、異例の特別待遇といえるだろう。この書店は金沢にいくつか支店があって、ときどきこういう粋な仕入れをしてくれる。

シンプルな白い表紙に横書きのまま縦に印刷された「クレバスに心せよ!」という一風変わった書名。副題には「アメリカ文学」とあり、そのあとに読点をはさんで「翻訳と誤訳」という言葉が韻を踏んで(?)つづく。アメリカ文学の翻訳論のようだ。それらよりもさらに小さく控えめに記された著者名には「須山静夫」とある。どこかで見かけたことのある名前だが、どこでだったか思い出せない。帯に目をやればすぐに気づいたはずだが、妙な期待に気持がたかぶっており、そうするのも忘れて、本を開き、頁をぱらぱら捲る。そのうちに、ようやくそれが『クラレル』を翻訳したアメリカ文学研究者の名前であることが思い出されてきた。帯にはちゃんと『クラレル』の文字が載っているではないか。

c0213681_239889.jpg

へなちょこ英語読みからしてみれば奇蹟のように思える『クラレル』の翻訳が完成してから13年、いつかは挑戦してみなければと思いながらも、その勇気と時間が持てないままに来てしまった。そんな折、その翻訳に魂の15年間を注いだ研究者の『クラレル』入門書といっていいかもしれない著書が目の前に現れたのだから、その恩恵に与るのは自然な流れ。あわよくば、『クラレル』を読んだ気分に少しだけなってやろうという魂胆もある。どこまでも浅墓ではあるが。

本書の目次は以下の通り。

・クレバスに心せよ
 1 ウィリアム・スタイロン 『闇の中に横たわりて』
 2 ウィリアム・フォークナー 『八月の光』
 3 フラナリー・オコナー 『オコナー短編集』
 4 フラナリー・オコナー 『賢い血』
 5 ハーマン・メルヴィル 『クラレル』
 6 ハーマン・メルヴィル 『白鯨』
・ハーマン・メルヴィル 『クラレル』論
 1 長詩『クラレル』の受けた書評、つまり酷評
 2 『クラレル』におけるメルヴィルの想像力は、死についての想像力である
・『クラレル』翻訳余禄
 1 『クラレル』の内容の概略、および『クラレル』の受けたアメリカでの書評
 2 『クラレル』論の執筆者たちのおかした誤解および誤読
 3 『クラレル』の原書に付けられた編者たちによる脚注のなかの誤り
 4 日本人研究者による誤訳

・『死海写本 イザヤ書』に分け入って
 1 須山のヘブライ語学習のいきさつ
 2 ダビデ王は息子アブサロムを愛していたか、憎んでいたか
 3 銀座教文館に展示してあるイザヤ書の複製
 4 死海写本とビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシアとの相違点

さしあたって関心のあるメルヴィルと『クラレル』の翻訳に関する水色の部分を読んでみた。この部分では、自身の翻訳も引用しながら『クラレル』の大まかな流れを紹介しているが、それらは「クラレルの作品論」というよりは、「クラレルの翻訳論」もしくは「クラレルの解釈論」といった内容かもしれない。扱われているテーマが宗教的なものであったりするので、内容的に理解の及ばない箇所もあるが、それでも常に死の影が見え隠れする作品の重い雰囲気は感じ取ることができる。

『クラレル』には「聖地における詩と巡礼」という副題がついており、聖都エルサレムを訪れるアメリカの青年クラレルを主人公とする。クラレルはエルサレムで様々な人物たちと出会い、揺らいでいた自分の信仰心を見つめ直す機会を得る。一方で、ルツという現地の女性と出会い、彼らは恋に落ちる。しかし、ルツの父親がアラブ人によって殺害されてしまい、喪中のあいだは、ユダヤの慣習によりルツとその母親に会うことができない。その合間の時間を埋めるべく、クラレルは巡礼の一行に加わり、10日間を彼女と離れて過ごすことになる。ところが、巡礼の旅を終えて戻ってくると、ルツとその母親までもが悲しみと熱病によって亡くなっていたことを知る。幸せを手に入れられるかに思えたクラレルは悲嘆に暮れる。「神よ、あなたは存在するのですか?」という言葉をつぶやき、その後しばらくはエルサレムにとどまり、いつしか街のなかに姿を消してしまう、というところで物語は終わるらしい。なかなか魅力的な内容だと思う。ただ、それが韻文という形で書かれているため、読むのはそう簡単ではないだろうし、原文ならなおさらそうであり、ましてやそれを翻訳するとなった場合にかかる苦労はいかばかりであろうか。

さて、題名にある「クレバス」とは、翻訳者が陥る誤訳のことを指す。本書では、自身のこれまでの誤訳を省みると同時に、他の研究者の誤訳を淡々と、しかし異様な細かさでもって記録していく。
訳文を読んで、少しでもおかしいと感じられたら、誤訳していると思わなければいけない。まあ、これでよかろう、と思ったら、もう駄目だ。まあ、とか、ろう、とかいう言葉は自分をごまかすためのものだ。そういうときには、その箇所のことはいったん忘れて、虚心になる必要がある。虚心になるためには時間がかかる。熱した頭で考えつづければいいというものではない。『クラレル』はむずかしい、とアメリカ人も、日本人も多くの人たちが言う。一ページに一箇所ずつそんなところがあれば、忘れたり考えたりをくりかえしているうちに、一五年ぐらいの時間はたちまち過ぎてしまう。(151-152頁)
さらには、1938年から1973年までに出版されたアメリカの研究者たちによる8冊の先行する研究書にあたり、かなりいいかげんな解釈や引用がなされてきたことを、敬意を払いながらも指摘していく。『クラレル』にはいくつかの版が存在していて、決定版とされる Northwestern Newberry Edition が発表されたのは須山氏が『クラレル』の翻訳を始めたあとだった。それまでの版(Hendricks House Edition)と決定版とのあいだに重要な異同を確認した須山氏は、あらためて決定版をもとにそれまでの翻訳を見直さなければならなかったという。誤字・脱字にはじまり句読点の位置の確認まで、細かく地道な作業が続いた。瑣末とはいえ、解釈に大きな違いを生じるものもあり、看過できなかったのだ。想像するだけで気が遠くなる。1999年に翻訳が出た後も、常に誤訳がないかと精査し続けたという。2006年に第2版が出たときには、初版の訳から改めた箇所が50箇所ほどあったようだ。須山氏は本書の2回目の校正中に急逝された。享年86。

本書では、瑣末な誤訳部分も含めて、単にそれらを書き出しているだけのように見えるので、読み物としての面白みに欠けるという批判はある意味当然である。とはいえ、それほど読者が多くないであろうこういう大作を訳した著者の真摯な姿勢と情熱の持続には敬意が払われるべきだろう。はっきり言って、あんまり売れないだろうが、このような本を出してくれた吉夏社には感謝したい。メルヴィルに心酔し、魂の半分をこの作家に売ってしまったつもりでいる私にとっては、なんともありがたい読書であったと言っておこう。

***

<おまけ①>
先月だったか、毎日新聞読書欄で荒川洋治氏が本書を取り上げられていた。「今週の本棚」らしい選書だろうし、一流の読み手によって書評が書かれたということ自体はすばらしいことだと思う。ただ、個人的に残念だったのは、その書評ではメルヴィルや『クラレル』の翻訳についてはいっさい触れられていなかったことだ。ま、いいんですけどね。

<おまけ②>
『クラレル』の版元の南雲堂といえば、数ヶ月前にチャールズ・オルソンという詩人の『マクシマス詩篇』なんてのを出版したばかり。これも自費出版なのだろうか。こちらは『クラレル』を超す1500頁の大冊である。価格は言わずもがな。チャールズ・オルソンがどれほどの詩人だったのかはよく知らないが、実はこの詩人には Call Me Ishmael というメルヴィル(の『白鯨』)理解の一助となる重要な書があるので、この詩人の名前をこちらの本で記憶しているというメルヴィリアンも多いはずである。もう半世紀以上も前に出た本だが、今読んでもけっこう面白く、いわゆる研究者が書いた本とは一線を画していると思う。ただし、オルソンはこの本の中で『クラレル』を「エイハブの太平洋は縮んでソドムの湖となった」と一蹴している。

<おまけ③>
先ごろ翻訳されたポール・オースターの『ブルックリン・フォリーズ』には、『クラレル』についての博士論文を書こうとして結局書けなかったという主人公の甥が登場する。その箇所には、'Clarel --- Melville's gargantuan and unreadable epic poem' (p. 27) と書かれている。'unreadable' という評価が一般的な見方であることの1つの証。
[PR]

by anglophile | 2012-06-12 17:43 | 読書 | Comments(0)
2012年 02月 22日
『アメリカ文学史』備忘録②
引き続き、『アメリカ文学史』から、付箋を貼った箇所を書き留める。

More
[PR]

by anglophile | 2012-02-22 10:30 | 読書 | Comments(0)
2012年 02月 21日
『アメリカ文学史』備忘録①
2、3日のうちに図書館に返却しなければならないので、付箋を貼った箇所を書き留める。

More
[PR]

by anglophile | 2012-02-21 21:42 | 読書 | Comments(0)
2012年 02月 12日
平石貴樹『アメリカ文学史』
昨日と今日は仕事でどこにも行けず仕舞い。どこかで補填してやらないと、心が噴火しそうだ。

ブックオフには細々とだが寄っている。今週は平日に一度だけだったが。

・茨木のり子 『歳月』 (花神社)
・向井敏 『開高健 青春の闇』 (文藝春秋)

合計210円。

読書も細々と続けている。図書館から借りている平石貴樹『アメリカ文学史』もやっと読了した。充実の読書だった。まだ2月ながら、今年の私的ベストテン確定の一冊。大学時代には文学史なんてまじめに読んだことはなかったし、そもそも文学史なんてあんまり通読すべきものではないのかもしれないが、本書は昨年、佐藤良明さんの「サトチョンの翻訳日記」阿部公彦さんの「書評空間」で取り上げられていて、それ以来ずっと気になっていた本だった。お二人とも東大の先生(佐藤さんはすでに退官されているが)だから、著者の平石さんのことはよくご存じのはず。佐藤さんなどは「本年最高の読書」とまで絶賛されている。また、佐藤さんの記事には阿部さんの書評への言及もあり興味深い。もしかしたら最も興味深いのは、アメリカ文学史なのにアメリカだけにとどまらず、最終章の最終節が「村上春樹とアメリカ文学」と題されていることかもしれない。私自身はまだすべて消化しきれていないが、このことにはなかなか深い意味があるようだ。

c0213681_0382075.jpg

文学史は一種の読書案内にもなりうる。例えば、昔読んだけどピンとこなかった作家の作品を再読する機会を与えてくれるはず。個人的には、ホーソーンのことが喉に刺さった魚のホネのようにずっと気になっている。主要長編は4つとも読んだが、「面白い」と思ったのは『ブライズデール・ロマンス』だけだった。肝心の『緋文字』はほとんど苦行だったことは今でも忘れない。こんなもの、どこが面白いんだ、と。でも、著者の次のような言葉を読んで、やっぱりそのうち再読せねばと思う。
『緋文字』を現代人が予備知識なしに読むと、物語の展開は短調でくどく、会話は古い芝居のように不自然で、神がかった偶然や不思議な事件が続発するので、古めかしく、読みづらく感じるに違いない。それでも、近代小説--ノヴェルであれ、ロマンスであれ--のもっとも重要な特質である、人物の自由とそれゆえの苦悩を、この作品にみなぎらせるべく奮闘する作者の姿に、打たれない読者はいないだろう。(130-1頁)
また、何度か挑戦するが挫折ばかりしている作家の作品にもあらためて興味を持たせてもらった。私の場合は、トニ・モリスンとフォークナー。モリスンは、本書を読んで相当に重要な作家であることがわかった。ノーベル賞もらって当然なのだ。失礼だが、モリスンなんて、もう一生縁はないだろうと思っていたけど、そういうわけにもいかなくなってきた。フォークナーに関しては、しょせんヘナチョコ級の英文解釈能力しかないのに原書で読もうとするからいけないことがよく分かった。著者はフォークナーの専門家でもあるから、フォークナーを論じた章はとても刺激的である。それを読んだら、無性にフォークナーが読みたくなってきた。ということで、このあとは『アブサロム、アブサロム!』を素直に翻訳で読むこととする。講談社文芸文庫と岩波文庫があるが、未所持なのでこちらの世界文学全集版(集英社)の篠田一士訳で読むことにしよう。(ちなみに、池澤夏樹版世界文学全集は篠田訳を採用している。)最後まで読めるかどうか心配だけど、おそらく通読のチャンスは今回の一回のみだろう。

c0213681_0515158.jpg

最後に、以前ここで話題にしたウィリアム・ギャディスについては特に言及がなかった。個人的には、ギャディスが現代アメリカ文学においてどのような位置を占めているのか知りたかったのだが。本流からは外れているということなのだろうか。

もう1つ読書ネタで、ホーソーンやメルヴィルの訳者である八木敏雄さんの『マニエリスムのアメリカ』(南雲堂)という本がやはり昨年出ているらしい。こちらもちょっと気になるが、まだ図書館には入っていないようだった。
[PR]

by anglophile | 2012-02-12 23:56 | 読書 | Comments(0)
2012年 01月 24日
古本とデザート
一月二十日、日曜日。十三時怠惰起床。天気は晴れ。妻と息子はすでに外出中。朝食は小型三日月麺麭三個と珈琲。十四時過ぎ、妻帰宅。息子は近くのカメクラにてカードバトルとのこと。妻、別の用事があり再度外出。十五時に自分が息子をカメクラに迎えに行く。息子はもう一試合残っているということで、自分は車中にて待機。平石貴樹『アメリカ文学史』(松柏社)を読み継ぐ。現在、五十頁を過ぎたところ。一頁の活字量が多いのでなかなか進まないが、学ぶことは多い。例えば、
 ...日本であれば、作家が外国の作家とおなじ市場で競争する、という問題は生じないが、アメリカは、読者はイギリスの本を読むことができるだけでなく、そうすることに慣れてもいたので、たとえばクーパーは、スコットと、いわばまともに勝負しなければならなかった。しかも、当時アメリカは、イギリスをふくむ国際社会に対して、国際著作権協定を締結していなかったから、アメリカの出版社は、たとえばスコットの小説を、スコットにもイギリスの出版社にも印税を支払わず、自由に複製--いわゆる海賊版を刊行し、販売することができた。いっぽう、自国の著者の作品を出版する場合には、印税が課せられたので、けっきょくアメリカの出版社にとっては、自国の無名の著者の作品を、印税を払って出版するか、それともイギリスの、すでに名のとおった著者の作品を、印税無料で出版するか、という不公平な二者択一が突きつけられ、当然ながら大多数は、イギリス作品の海賊版をつくるほうをえらんだ(一八三〇~四〇年代、スコットに代わって人気を博した作家はディケンズだった)。
 アメリカが国際著作権協定を結んだのは、一八九一年であるので、作家たちの不遇は、ほぼ一九世紀のあいだ中つづいた。作家たちはこの間、出版の機会をつかみ、利益を確保するために、さまざまな努力を重ねた。その努力のひとつは、英米両国の出版社と個別に同時に契約することによって、せめて自作の海賊版を防止することだった。クーパーは、両国同時契約をおこなったアメリカ最初の作家にもなった。(四十一頁)
英米両国で同じ本が出版されるのは当たり前だと思っていたが、どうやら上のような事情が元々あったらしい。なぁるほど。引用文中の「クーパー」とはジェイムズ・フェニモア・クーパー、「スコット」はウォルター・スコットのこと。百六十年前のアメリカの文学事情を反芻していると、息子がバトルを終えて車に戻ってきた。三勝二敗と勝ち越したようで上機嫌。時間は午後四時。陽差しがオレンジ色になってきた。日曜日午後四時頃のオレンジ色は切ない。家に戻るには中途半端な時間なので、息子の許可を得てから、香林坊に向かうことにする。久しぶりにせせらぎさんに行ってみたくなった。

近くの小銭制駐車場に車をとめる。お店に入っていくと、せせらぎさんがいらっしゃりご挨拶申し上げる。店内は数ヶ月前に来たときと少し雰囲気が変わっていた。以前は店内左側の一段高くなったスペースには未整理本の段ボールが置かれていたはずだが、そこも整理されて文庫と新書の棚が移動してきていた。また、店内奥の文学棚にも本が補充されていて、前回訪問時にはなかった小林信彦の単行本群や国書刊行会の世界幻想文学大系やフランク・ノリス『オクトパス』などが並んでいた。精力的に仕入れをされているのだろうとお見受けした。おかげで、二十分だけのつもりが、結局一時間ほどいてしまった。買った本は以下の四冊。

・戸板康二 『泣きどころ人物誌』 (文春文庫) ¥100
・ギッシング 『ヘンリ・ライクロフトの手記』 (角川文庫) ¥100
・ギッシング 『南イタリア周遊記』 (岩波文庫) ¥200
・近藤健児 『絶版文庫交響楽』 (青弓社) ¥500

何気なく買ったギッシングの『ヘンリ・ライクロフト』は、岩波文庫版が有名だと思うが、これは角川文庫版だった。よく見たら、題名も『私記』ではなく『手記』。ちょっと珍しいかも。カバーが付く以前の角川文庫の赤い横線群にはときめくことが多い。『絶版文庫交響楽』は海外文学の文庫探求の書。著者は『ニッポン文庫大全』にも寄稿されている方らしい。蒐集範囲が戦前の文庫にまで及んでおり、相当年季が入っている。読書量にも脱帽である。モームやハクスリィやヘンリー・ジェイムズらのどんな文庫がかつて出ていたのかがわかり誠に興味深い。どの本をいつどこでいくらで買ったかということもときどき書かれていて、古本心に響いてくる。絶版文庫関連の本はいろいろとあると思うが、この本はかなり趣味に合っている。もう少し掲載写真が多ければなおよいのだが。昨年出た『少年少女昭和ミステリ美術館 表紙でみるジュニア・ミステリの世界』(平凡社)を真似して、例えば『書影でたどる海外文学絶版文庫』(どこかで聞いたことがあるような題名?)とか『フルカラー海外文学絶版文庫の光と影』(帯は付けたままのもの【下図①】と外したときのもの【同②】を別々で)というのを出してほしい。七千八百円(税抜)までなら妻に内緒で即決で買える。それ以上は要相談。

<図①>
c0213681_5181838.jpg

<図②>
c0213681_5233046.jpg

「新しき文庫の時代」が到来しそうなところで、お店を後にする。さて、せっかく武蔵界隈に来たので、「フルーツパーラーむらはた」に寄ることを思いついた。ただし時間はすでに午後五時。洋梨ケーキはもう売り切れになっている可能性が高いが、せせらぎさんからは近いので、とりあえず行ってみることにする。すると、洋梨ケーキはちょうど三個残っていた。運が良かった。全部買う。これにて本日は全日程終了かと思ったが、せっかく武蔵が辻に来たのならば、これまた久しぶりに近八書房にも寄ってみようということで、ちょっとだけ入り口の文庫コーナーを見に行ってきた。一冊だけ購入。

・獅子文六 『但馬太郎治伝』 (講談社文芸文庫) ¥800

家に帰ってから息子と食べた洋梨ケーキはやはり絶品であった。
[PR]

by anglophile | 2012-01-24 05:45 | 古本 | Comments(0)
2012年 01月 11日
久しぶりに図書館へ
今日は午後から休みをもらって、まず久しぶりに県立図書館へ。県立図書館の前には駐車スペースがあるのだが、玄関の方から門番の爺さんが恐い顔して不届き者がいないか監視している。エラソーな人間は大嫌いだ。シメーカンに燃えるのは人の勝手だけどな。

さっと用事を済ませるつもり。まず文芸誌コーナーに行って『新潮』の最新号を手に取る。あれ? 阿部和重はどこへ行った? と思ったら、掲載紙は『群像』だった。まちがえた。冒頭だけぱらぱら斜め読み。ダイアナ妃の自動車事故のことがまくらに使われている。阿部和重らしいわ。どうやらパパラッチの話らしいが。何回の連載になるかはわからなかった。単行本化されるのを気長に待ちたい。

次にお目当ての本を探す。書庫ではなく、棚に架蔵されていた。その付近に他に気になる本もあったのでまとめて借りることにする。

・平石貴樹 『アメリカ文学史』 (松柏社)
・ユーリック・オコナー 『われらのジョイス 五人のアイルランド人による回想』 (みすず書房)
・宮田恭子 『ルチア・ジョイスを求めて ジョイス文学の背景』 (同上)

『アメリカ文学史』が借りたかった本。去年けっこう話題になった(はず)。7000円するのでなかなか買えないのだが、この図書館にあったのでとりあえず借りてみようと思った次第。分厚さがたまらない。『われらのジョイス』は数年前に出た本。古書店で何度か見たが、まだそれほど安くなくて見送っていた。いい機会なのでとりあえず借りておく。『ルチア・ジョイスを求めて』は去年出た本。こちらはほんとの研究書なので難しそうだが強気に借りてみた。著者の宮田さんは石川県出身のジョイス研究者。『われらのジョイス』の訳も宮田さんが担当されている。

さっさと3冊借りてから、コワイ爺さん無視して、車で香林坊へ向かう。久しぶりにオヨヨ書林に寄ってみたくなった。近くの有料駐車場に車を止めて、小雪舞い散るなかオヨヨ書林へ。100均を見てから中へ入る。オヨヨさんはいらっしゃらずアルバイト(?)の女性がレジで仕事されていた。店内の棚を見ていると、そのうちオヨヨさんが帰ってこられた。ごあいさつ申し上げる。何冊か気になる本があったが結局買ったのは1冊だけだった。

・C=E・マニー 『アメリカ小説時代 小説と映画』 (フィルムアート社)

今日は英米文学の日だな。ドス・パソス論があったので買ってみた。この本はきっと宮本陽一郎先生は読んでるだろうな。

このあと、うつのみや書店にさらに寄って新刊チェック。山尾悠子『ラピスラズリ』(ちくま文庫)はあったが、小沼丹『更紗の絵』(講談社文芸文庫)はまだなかった。それとも見逃しただけ? あと、2階の古書コーナーは継続中だった。結局何も買わなかったけど、けっこういい本があった気がする。ときどきチェックしにこなければならないと思った。
[PR]

by anglophile | 2012-01-11 19:03 | 読書 | Comments(0)