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2012年 06月 28日
今日の105円棚
・ロード・ダンセイニ 『世界の涯の物語』 (河出文庫)
・ロード・ダンセイニ 『夢見る人の物語』 (同上)
・J-K.ユイスマンス 『さかしま』 (同上)
・国枝史郎 『神州纐纈城』 (同上)
・佐藤亜紀 『戦争の法』 (新潮文庫)
・花田清輝 『復興期の精神』 (講談社学術文庫)
・森瑤子 『東京発千夜一夜(上)(下)』 (朝日文芸文庫)
・仁賀克雄編 『幻想と怪奇 ポオ蒐集家』 (ハヤカワ文庫)
・仁賀克雄編 『幻想と怪奇 おれの夢の女』 (同上)

『東京発千夜一夜』の状態のいいのがやっと今日見つかった。ちなみに、新潮文庫版と朝日文庫版の2つがある。
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by anglophile | 2012-06-28 20:43 | 古本 | Comments(0)
2012年 06月 26日
今日の105円本
・スーザン・ヒル 『黒衣の女』 (ハヤカワ文庫)
・吉川幸次郎 『他山石語』 (講談社文芸文庫)
・竹之内静雄 『先師先人』 (同上)
・福原麟太郎 『シェイクスピア講演』 (講談社学術文庫)
・田辺茂一 『わが町・新宿』 (旺文社文庫)
・塩野七生 『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年(上)(下)』 (中公文庫)
・根本順吉 『江戸晴雨攷』 (同上)
・幸田露伴 『芭蕉入門』 (新潮文庫)
・高野文子 『棒がいっぽん』 (マガジンハウス)
・マーガレット・アトウッド 『昏き目の暗殺者』 (早川書房)
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by anglophile | 2012-06-26 22:28 | 古本 | Comments(0)
2012年 06月 25日
第16回一箱古本市@源法院
昨日の一箱古本市のレポート。

朝まだきにユーロ2012などを半分眠りながら見ていたもんだから、起きたら9時ちょっと前だった。結局寝てしまったのだから何やってんだか。トースト1枚かじりながら、よろよろ車に本箱積み込み、急いで出発した。天気は快晴ながらも暑すぎず、過ごしやすい一日になりそうな気配。念のため、帽子も持っていくことにした。

源法院に向かう途中、兼六園脇を通ると、観光客の人たちが園内に向かう坂道を上っていく様子が見えた。あの人たちは源法院まで足を伸ばしてくれるだろうか。源法院に着くと、すでに皆さん準備されている。今回の出店数は15箱。源法院前にずらりと箱が並んだ。開始前から、団体の観光客の人たちが訪れたりして、本を並べる手に力がこもる。隊長のあうん堂さんの掛け声で古本市が始まった。
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お隣は口笛文庫さんとadlift booksさん。口笛文庫さんはトレードマークの新鮮野菜も出しておられた。adlift booksさんにはたくさん本を買っていただきました。
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私の箱は前回からあんまり変わり映えしないが、300円以下の本を増量して数で勝負してみることにした。その結果、けっこう手にとってもらえたような気がする。買ってもらうには、やはりいろいろ工夫しないといけないのである。
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こちらは初参加のちぇんまい姉妹さんの箱模様。妹さんの方は整体師をされているということで、ツボを押す棒が大好評だった模様。そういう私もそのツボを押す棒を買わせていただきました。手のひらを棒でごりごりやると大変気持がよい。あとで妹さんに整体カウンセリングもしてもらいました。次回は肩こりに悩んでいるうちの妻を連れてこようかな。
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こちらは世理翁さんこだわりの少女漫画箱。
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今回楽しみにしていたのはあうん堂さんの箱。出店者プロフィールに「出版・装丁・印刷から、新刊本屋に古本屋のウンチクまで、あらゆる「本」の本が一箱にあふれています」とあったので、どんな本が並べられるのか大いに期待していた。その濃厚な箱内容は以下の如し。
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これだけ「本の本」が並ぶと壮観だ。何度もこの箱の前まで足を運び、買うべき本を吟味した。すでに持っている本は10冊くらいあったが、古本好きならここにある本のほとんどを所有したいと思うだろう。実際10冊ぐらいほしい本があったが、10冊全部買うと売り上げを優に超えてしまうので、結局2冊だけにした。

・林哲夫 『古本デッサン帳』 (青弓社) ¥1000
・山本善行 『古本泣き笑い日記』 (同上) ¥600

林さんの『古本スケッチ帳』の方はすでに持っていて、『古本デッサン帳』はまだ持っていなかったのでこの機会に購入。山本さんの『古本泣き笑い日記』はすでに1冊持っているが、それは居間に置いてある。頻繁に手にとる本は各部屋に1冊ずつ置いておきたい。これは寝室に置くことにしよう。
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陽差しはけっこう強かったが、帽子をもっていったので助かった。出店者の皆さんとの楽しいひとときはほんとに癒されます。今回もありがとうございました。

<売れた本>
・恩田陸 『小説以外』 (新潮社)
・池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』 (新潮文庫)
・金子光晴 『マレー蘭印紀行』 (中公文庫)
・三浦しをん 『風が強く吹いている』 (新潮文庫)
・水上勉 『文壇放浪』 (同上)
・平松洋子 『ひとりひとりの味』 (理論社)
・小栗虫太郎 『黒死館殺人事件』 (河出文庫)
・生田耕作 『ダンディズム―栄光と悲惨』 (中公文庫)
・ガルシア=マルケス 『ママ・グランデの葬儀』 (集英社文庫)
・蓮實重彦 『齟齬の誘惑』 (東京大学出版会)
・佐野洋子 『シズコさん』 (新潮社)
・春日武彦/穂村弘 『人生問題集』 (角川書店)
・池谷伊佐夫 『東京古書店グラフィティ』 (東京書籍)
・田中小実昌 『世界酔いどれ紀行 ふらふら』 (知恵の森文庫)
・『ちくま日本文学全集 開高健』 (筑摩書房)
・『ちくま日本文学全集 中島敦』 (同上)
・藤沢周平 『白き瓶―小説長塚節』 (文春文庫)
・松浦弥太郎 『軽くなる生き方』 (サンマーク出版)
・松浦弥太郎 『今日もていねいに。』 (PHP研究所)
・志村ふくみ 『一色一生』 (講談社文芸文庫)
・三上延 『ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち』 (メディアワークス文庫)
・吉行淳之介 『ダンディな食卓』 (グルメ文庫)
・内田百閒 『御馳走帖』 (中公文庫)
・東川篤哉 『謎解きはディナーのあとで』 (小学館)
・室生犀星 『女ひと』 (岩波文庫)
・薄田泣菫 『艸木虫魚』 (同上)
・北尾トロ 『テッカ場』 (講談社文庫)
・内田樹/平川克美 『東京ファイティングキッズ』 (柏書房)
・植草甚一 『いい映画を見に行こう 植草甚一スクラップ・ブック<1>』 (晶文社)
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by anglophile | 2012-06-25 23:51 | 一箱古本市 | Comments(0)
2012年 06月 23日
Howards End is on the Landing
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スーザン・ヒルHowards End is on the Landing: A Year of Reading from Home (Profile Books, 2009)を読んでいる。ヒルは小説家だが、この本は読書にまつわる随筆集で、書名を訳すならば、『本棚のハワーズ・エンド』といったところか。アマゾンUKをふらふらしているときに見つけたのだが、冒頭部を一読し、即注文した。こんな感じで始まる。
   It began like this. I went to the shelves on the landing to look for a book I knew was there. It was not. But plenty of others were and among them I noticed at least a dozen I realised I had never read.
   I pursued the elusive book through several rooms and did not find it in any of them, but each time I did find at least a dozen, perhaps two dozen, perhaps two hundred, that I had never read.
   And then I picked out a book I had read but had forgotten I owned. And another and another. After that came the books I had read, knew I owned and realised that I wanted to read again.
   I found the book I was looking for in the end, but by then it had become far more than a book. It marked the start of a journey through my own library. (p. 1)

 まずは、そもそものきっかけについて記しておく。ある時、自宅の階段の踊り場に置いてある本棚に本を取り行った。探している本がそこにあるのはわかっていた。ところが、いざ探してみると、それが見当たらない。かわりに、他の本が山のように積まれており、しかもまだ読んでいないものがその中に少なくとも十数冊はあることに気づいた。
 肝心の本はどこへ行ったのだろうと、他の部屋をあちこち探してみたが、どこにも見当たらない。一方、それぞれの部屋からは、まだ読んでいない本が少なくとも十冊、いや二十冊、いやもしかたしたら二百冊は見つかった。
 そこでそのうちの一冊を手に取ってみた。それは読んだはずだが、家にあることは忘れていた本だった。他の本はどうか、一冊、また一冊と手に取ってみた。やっと読んだことがあり、家にあることは知っていて、しかも再読したいと思っていた本が出てきた。
 結局最初に探していた本は見つかったのだが、その時点でこの一連の本探しのことはもうどうでもよくなっており、反対に、自分の蔵書の森を探求してみたいという気持に火がついたのだった。
副題(A Year of Reading from Home)にあるように、ヒルはこの日から原則として1年間は新刊を買うのを控え、自分の蔵書中の未読本や再読してみたい本だけを読むことにしたのだという。ちなみに、古本スイッチとかが「入」になったままの私には、そんな生活は今は無理である。

さて、まだ3分の1ほどしか読んでいないが、初めの方は、少女時代から学生時代に読んだ本や作家について語られる。その中からおもしろかったエピソードを1つ紹介しておこう。1960年頃、ヒルはキングス・カレッジ・ロンドンに通う学生だった。もともと本が好きだった彼女は、あるときロンドン図書館(The London Library)に出入りする機会を得、ここで多くのことを学んだと書いている。このロンドン図書館は19世紀中葉にあのカーライルによって設立された会員制の私立図書館で、誰でも簡単に入ることができる場所ではないらしい。会員名簿には、錚々たる作家たちがその名を連ねており、ヒルが通っていた頃も、図書館内で有名な作家を見かけることは珍しくなかった。そんなある日、ある大作家と遭遇する。そのときの様子がおかしくもあり、感動的でもある。
  Not, though, as conscious as I was of the small man with thinning hair and a melancholy moustache who dropped a book on my foot in the Elizabethan Poetry section... There was a small flurry of exclamations and apology and demur as I bent down, painful foot notwithstanding, picked up the book and handed it back to the elderly gentleman --- and found myself looking into the watery eyes of E. M. Forster. How to explain the impact of that moment? How to stand and smile and say nothing, when through my head ran the opening lines of Howards End, 'One may as well begin with Helen's letters', alongside vivid images from the Marabar Caves of A Passage to India? How to take in that here, in a small space among old volumes and a moment when time stood still, was a man who had been an intimate friend of Virginia Woolf? He wore a tweed jacket. He wore, I think, spectacles that had slipped down his nose. He seemed slightly stooping and wholly unmemorable and I have remembered everything about him for nearly fifty years.
  I went back to the hostel and took out Where Angels Fear to Tread, read some pages, read the author biography, and had that sense of unreality that comes only a few times in one's life. The wonder of the encounter has never faded. (p. 19)

 しかし、あのときほどドキッとしたことはなかった。髪が薄くなり、物憂げな口ひげをたくわえたあの小柄な紳士が目の前に現れた時ほどには。その人は、エリザベス朝時代の詩集が置かれているコーナーで、私の足の上に本を落としたのだ。「痛っ!」と声をあげたので、その人は謝られたが、私は「いえ大丈夫ですから」とその場を取りつくろった。足は痛かったけれども、私は落ちた本を拾い上げて、その老紳士に手渡した。そして、その潤んだ瞳をじっと見つめたとき、この人がE.M.フォースターであることに気づいたのだった。そのときの衝撃をどう表現すればいいだろう。何も言わずに立ったまま、ただ微笑んでいるしかなかった。その間、私の頭の中では「まずはヘレンから届いた手紙から始めることにしよう」で始まる『ハワーズ・エンド』の冒頭部が流れていた。同様に、『インドへの道』に出てくるマラバー洞窟の鮮明な様子も思い起こされた。古い本が並ぶあんな狭い場所で、時間が止まったまま、私の目の前にはヴァージニア・ウルフの親友だった人が立っている。そんな状況をどう冷静に受け止めることができるだろうか。フォースターはツイードの上着を着ていた。たしか鼻から落ちそうな眼鏡をかけていたはずだ。少しだけ腰が曲がっていて、さほどあかぬけた様子はなかった。しかし、私は彼のそんな姿を以後50年間近く忘れたことがない。
 宿舎に戻ってから、『天使も踏むを恐れるところ』を取り出し、数ページ読んでみた。著者紹介も読んだ。そして、一生のうちに数回しか訪れないあの非現実感を味わったのだった。あのとき偉大な作家と遭遇した記憶は今なお色褪せない。
フォースターは1879年生まれだから、このとき80歳を超えたぐらいだったろうか。というか、この部分を読んだとき、フォースターが1960年頃にまだ生きていたという事実に私は驚いてしまった。こういう逸話はいくら読んでも飽きない。

全体は数ページの短章から構成されているので読みやすい。どれも非常に面白く、毎日数篇ずつ、うんうんとうなずきながら読み継いでいる。「古本」のことはあまり書かれていないが、こちらの興味関心は刺激してくれる。知らない作家のこともたくさん出てきて、読書の幅を広げるにはもってこいである。
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by anglophile | 2012-06-23 23:03 | 読書 | Comments(0)
2012年 06月 19日
福音館文庫
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書店に福音館文庫の小冊子が置かれていた。フジモトマサル氏のイラストだとすぐわかる。全23頁に福音館文庫に入っている児童書が紹介されている。また、森見登美彦、金井美恵子、梨木香歩、西加奈子の「おすすめの一冊」という小文が載っている。金井氏は、石井桃子の『幼ものがたり』を選んでおり、その中にある「石井さんの語る言葉と幼い日の記憶は、たとえば、「銀の匙」に山盛される種類のベタベタした甘ったるい感傷などとは本質的に異っている。」(10頁)という一文はシゲキ的。
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by anglophile | 2012-06-19 19:01 | 読書 | Comments(2)
2012年 06月 18日
第16回一箱古本市@源法院のご案内
今月の「一箱古本市@源法院」は6月24日(日)開催です。ひと月過ぎるのは早いものですねえ。出店者のプロフィールはこちらになります。

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天気予報:曇時々晴(降水確率20%)
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by anglophile | 2012-06-18 23:21 | 一箱古本市 | Comments(0)
2012年 06月 14日
むむむ、今日の古本
ちょっと駅西に用事があったので、車を走らせる。途中、寄るつもりはなかった文圃閣前を通り過ぎようとすると、ガレージ均一の軒先に新しい本棚が出されているのを発見した! あの肌色はぜったいに中公文庫だよ! 素通り中止、急遽Uターン、捜査開始。問題の棚は両面棚になっており、思った通り片面に中公文庫が大量に並べられていた。その他の文庫もいろいろあって、全部100円だった。家に帰れば飛んでくるであろう言葉のジャブのことは考えない。見境なく引き抜いた。本日は大漁なり。

・古山高麗雄 『片乞い紀行』 (中公文庫)
・宇能鴻一郎 『味な旅 舌の旅』 (同上)
・宇能鴻一郎 『鯨神』 (同上)
・鏑木清方 『続こしかたの記』 (同上)
・和辻哲郎 『自叙伝の試み』 (同上)
・大岡昇平 『わが文学生活』 (同上)
・福田恆存 『作家の態度』 (同上)
・竹西寛子 『往還の記』 (同上)
・白川静 『中国の神話』 (同上)
・S・ヴォルコフ編 『ショスタコーヴィチの証言』 (同上)
・獅子文六 『飲み・食い・書く』 (角川文庫)
・長田弘 『サラダの日々』 (同上)
・バシリス・バシリコス 『Z』 (同上)
・石川淳 『普賢』 (集英社文庫)
・日本ペンクラブ編 『日記名作選 書くに値する毎日』 (同上)
・色川武大 『ぼうふら漂遊記』 (新潮文庫)
・伊藤整 『近代日本の文学史』 (カッパ・ブックス)

夏葉社から復刊された『近代日本の文学史』の元版があった。カバー背に破れ・捲れがあり、状態は悪いけれど、100円なので買っておく。せっかくだからと、お店の方にもおじゃまして、いきおいで文庫をさらに2冊購入。

・古山高麗雄 『他人の痛み』 (中公文庫) ¥180
・梅崎春生 『ウスバカ談義』 (旺文社文庫) ¥600

すごく満足。家に帰れば飛んでくるであろう言葉のジャブは気合いでかわせばよい。
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by anglophile | 2012-06-14 21:17 | 古本 | Comments(0)
2012年 06月 13日
Justin Heathcliff, 'You All Should Think More'
妻がCCRのCD貸して、と言ってきたので、CD棚をガサコソやっていたら、ジャスティン・ヒースクリフの紙ジャケCDが出てきたので、久しぶりに聞き返してみた。ほとんどビートルズなんだけど、やっぱりいいなあ。


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by anglophile | 2012-06-13 21:23 | 音楽 | Comments(0)
2012年 06月 12日
クレバスに心せよ!
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アメリカ文学の最高峰を成す作品群を残したハーマン・メルヴィルが1891年に72歳で亡くなったとき、文芸誌のハーパーズ・マガジンに載った死亡記事はわずか2行、しかも年齢を1歳まちがえて伝えていた('September 27th. --- In New York City, Herman Melville, aged seventy-three years.')。また、かのニューヨーク・タイムズはメルヴィルのファースト・ネームを「ヘンリー」と誤記したとかしなかったとか。一方、かつての知人の中には、メルヴィルがとうの昔に亡くなっていると思っていた人もいたらしい。作家はすでに過去の人となっていた。

そんなメルヴィルの人生について、殊に作家としては不遇であったその後半生についてときどき考えることがある。1851年に発表された『白鯨』は当時の読者を戸惑わせたが、日本ではこれまでに翻訳が11種類出ており、そのことをメルヴィルが知ったらどう思うだろうか。いくつかの評伝を読むと、『白鯨』の出版に始まる1850年代初め以降、自作に対する相次ぐ酷評にメルヴィルはなかばヤケになっていたかのような印象を受ける。書きたいと思う作品を書けば書くだけ、読者からはますます遠ざかっていくという悪循環。長篇小説としては最後のものとなった『詐欺師』(The Confidence Man)は1857年に出版されたが、作品に対する評価はあいかわらずだった。しかし、かつて畏友ナサニエル・ホーソーンに宛てた手紙に、'It is better to fail in originality than to succeed in imitation.' (「模倣によって成功するよりも、未だ書かれたことのないものを書いて失敗することを選びたい」)という言葉で自身の作家としての態度を表明していたように、メルヴィルは時代に迎合することを最後まで拒んだのだった。家計は逼迫する一方だったが、メルヴィルは筆を折るどころか、執筆欲は増すばかり、『詐欺師』発表後は散文を離れ、徐々に詩作に向かうことになる。メルヴィル家では、執筆に没頭する主人の健康を心配するのが習慣となっていた。

後年、メルヴィルはいくつかの重要な短篇作品を書いたが、一方で少なからぬ詩作品を残している。例えば、1866年に発表した Battle-Pieces は南北戦争に想を得ているし、亡くなる数年前に私家版でごく少部数出版された John Marr and Other Sailors(1888年)は若き水夫時代のことを題材にしたものだった。しかし、最大のものといえば、1876年に刊行された長篇叙事詩『クラレル』(Clarel: A Poem and Pilgrimage in the Holy Land)であり、長さは18000行に及ぶ。長さだけを見れば、『マーディ』(1849年)や『白鯨』に比するといってもよい。研究者によれば、『クラレル』の執筆開始は1867年頃だったようだが、作品の着想自体は1856年から57年にかけて地中海を旅行したときに得ていたようで、そうなると構想から執筆、そして完成までの期間は実質20年ということになる。この長大な詩篇を日本語に翻訳した須山静夫は、この時期を「メルヴィルの魂の二〇年にわたる巡礼の足跡にほかならない」と表現している。

この世には長大さと難解さゆえに翻訳が困難とされる書物が少なくないと思うが、『クラレル』もその点においては引けをとらない。アメリカ文学研究者だった須山氏がこの鈍い光を放ち続ける結晶に一条の光を当てたのが1999年だった。その翻訳には15年あまりの歳月を費やしたという。版元は(もちろん)南雲堂。当時どれほどの書評が出たのかは知らない。メルヴィルの魂に共感する者の一人として、この詩篇には関心を持ち続けてきたが、素人の個人所有を拒むかのような値段設定にいまだ入手すらはたしていない。翻訳は1000頁近くあり、心地よいめまいをおぼえる。現在は絶版となり、手に入れるなら古書ということになるが、古本はぜひ105円で、と思ってばかりいる浅墓者に、そんな幸運はそうそう訪れない。県内のどの図書館にも入っていないようで、実のところ、実物を拝む機会すら訪れていない。

***

さて、先々月、いつも行く書店で、ふらっと外国文学棚の前を通ると、他とは少しちがう雰囲気を持った本が目に入ってきた。棚の限られたスペースになぜか面陳されていたその本は、吉夏社(きっかしゃ)という出版社から4月に刊行されたばかりの本だった。夏葉社なら知っているが、この版元は知らない。驚くべきは3冊も入荷していたことで、異例の特別待遇といえるだろう。この書店は金沢にいくつか支店があって、ときどきこういう粋な仕入れをしてくれる。

シンプルな白い表紙に横書きのまま縦に印刷された「クレバスに心せよ!」という一風変わった書名。副題には「アメリカ文学」とあり、そのあとに読点をはさんで「翻訳と誤訳」という言葉が韻を踏んで(?)つづく。アメリカ文学の翻訳論のようだ。それらよりもさらに小さく控えめに記された著者名には「須山静夫」とある。どこかで見かけたことのある名前だが、どこでだったか思い出せない。帯に目をやればすぐに気づいたはずだが、妙な期待に気持がたかぶっており、そうするのも忘れて、本を開き、頁をぱらぱら捲る。そのうちに、ようやくそれが『クラレル』を翻訳したアメリカ文学研究者の名前であることが思い出されてきた。帯にはちゃんと『クラレル』の文字が載っているではないか。

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へなちょこ英語読みからしてみれば奇蹟のように思える『クラレル』の翻訳が完成してから13年、いつかは挑戦してみなければと思いながらも、その勇気と時間が持てないままに来てしまった。そんな折、その翻訳に魂の15年間を注いだ研究者の『クラレル』入門書といっていいかもしれない著書が目の前に現れたのだから、その恩恵に与るのは自然な流れ。あわよくば、『クラレル』を読んだ気分に少しだけなってやろうという魂胆もある。どこまでも浅墓ではあるが。

本書の目次は以下の通り。

・クレバスに心せよ
 1 ウィリアム・スタイロン 『闇の中に横たわりて』
 2 ウィリアム・フォークナー 『八月の光』
 3 フラナリー・オコナー 『オコナー短編集』
 4 フラナリー・オコナー 『賢い血』
 5 ハーマン・メルヴィル 『クラレル』
 6 ハーマン・メルヴィル 『白鯨』
・ハーマン・メルヴィル 『クラレル』論
 1 長詩『クラレル』の受けた書評、つまり酷評
 2 『クラレル』におけるメルヴィルの想像力は、死についての想像力である
・『クラレル』翻訳余禄
 1 『クラレル』の内容の概略、および『クラレル』の受けたアメリカでの書評
 2 『クラレル』論の執筆者たちのおかした誤解および誤読
 3 『クラレル』の原書に付けられた編者たちによる脚注のなかの誤り
 4 日本人研究者による誤訳

・『死海写本 イザヤ書』に分け入って
 1 須山のヘブライ語学習のいきさつ
 2 ダビデ王は息子アブサロムを愛していたか、憎んでいたか
 3 銀座教文館に展示してあるイザヤ書の複製
 4 死海写本とビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシアとの相違点

さしあたって関心のあるメルヴィルと『クラレル』の翻訳に関する水色の部分を読んでみた。この部分では、自身の翻訳も引用しながら『クラレル』の大まかな流れを紹介しているが、それらは「クラレルの作品論」というよりは、「クラレルの翻訳論」もしくは「クラレルの解釈論」といった内容かもしれない。扱われているテーマが宗教的なものであったりするので、内容的に理解の及ばない箇所もあるが、それでも常に死の影が見え隠れする作品の重い雰囲気は感じ取ることができる。

『クラレル』には「聖地における詩と巡礼」という副題がついており、聖都エルサレムを訪れるアメリカの青年クラレルを主人公とする。クラレルはエルサレムで様々な人物たちと出会い、揺らいでいた自分の信仰心を見つめ直す機会を得る。一方で、ルツという現地の女性と出会い、彼らは恋に落ちる。しかし、ルツの父親がアラブ人によって殺害されてしまい、喪中のあいだは、ユダヤの慣習によりルツとその母親に会うことができない。その合間の時間を埋めるべく、クラレルは巡礼の一行に加わり、10日間を彼女と離れて過ごすことになる。ところが、巡礼の旅を終えて戻ってくると、ルツとその母親までもが悲しみと熱病によって亡くなっていたことを知る。幸せを手に入れられるかに思えたクラレルは悲嘆に暮れる。「神よ、あなたは存在するのですか?」という言葉をつぶやき、その後しばらくはエルサレムにとどまり、いつしか街のなかに姿を消してしまう、というところで物語は終わるらしい。なかなか魅力的な内容だと思う。ただ、それが韻文という形で書かれているため、読むのはそう簡単ではないだろうし、原文ならなおさらそうであり、ましてやそれを翻訳するとなった場合にかかる苦労はいかばかりであろうか。

さて、題名にある「クレバス」とは、翻訳者が陥る誤訳のことを指す。本書では、自身のこれまでの誤訳を省みると同時に、他の研究者の誤訳を淡々と、しかし異様な細かさでもって記録していく。
訳文を読んで、少しでもおかしいと感じられたら、誤訳していると思わなければいけない。まあ、これでよかろう、と思ったら、もう駄目だ。まあ、とか、ろう、とかいう言葉は自分をごまかすためのものだ。そういうときには、その箇所のことはいったん忘れて、虚心になる必要がある。虚心になるためには時間がかかる。熱した頭で考えつづければいいというものではない。『クラレル』はむずかしい、とアメリカ人も、日本人も多くの人たちが言う。一ページに一箇所ずつそんなところがあれば、忘れたり考えたりをくりかえしているうちに、一五年ぐらいの時間はたちまち過ぎてしまう。(151-152頁)
さらには、1938年から1973年までに出版されたアメリカの研究者たちによる8冊の先行する研究書にあたり、かなりいいかげんな解釈や引用がなされてきたことを、敬意を払いながらも指摘していく。『クラレル』にはいくつかの版が存在していて、決定版とされる Northwestern Newberry Edition が発表されたのは須山氏が『クラレル』の翻訳を始めたあとだった。それまでの版(Hendricks House Edition)と決定版とのあいだに重要な異同を確認した須山氏は、あらためて決定版をもとにそれまでの翻訳を見直さなければならなかったという。誤字・脱字にはじまり句読点の位置の確認まで、細かく地道な作業が続いた。瑣末とはいえ、解釈に大きな違いを生じるものもあり、看過できなかったのだ。想像するだけで気が遠くなる。1999年に翻訳が出た後も、常に誤訳がないかと精査し続けたという。2006年に第2版が出たときには、初版の訳から改めた箇所が50箇所ほどあったようだ。須山氏は本書の2回目の校正中に急逝された。享年86。

本書では、瑣末な誤訳部分も含めて、単にそれらを書き出しているだけのように見えるので、読み物としての面白みに欠けるという批判はある意味当然である。とはいえ、それほど読者が多くないであろうこういう大作を訳した著者の真摯な姿勢と情熱の持続には敬意が払われるべきだろう。はっきり言って、あんまり売れないだろうが、このような本を出してくれた吉夏社には感謝したい。メルヴィルに心酔し、魂の半分をこの作家に売ってしまったつもりでいる私にとっては、なんともありがたい読書であったと言っておこう。

***

<おまけ①>
先月だったか、毎日新聞読書欄で荒川洋治氏が本書を取り上げられていた。「今週の本棚」らしい選書だろうし、一流の読み手によって書評が書かれたということ自体はすばらしいことだと思う。ただ、個人的に残念だったのは、その書評ではメルヴィルや『クラレル』の翻訳についてはいっさい触れられていなかったことだ。ま、いいんですけどね。

<おまけ②>
『クラレル』の版元の南雲堂といえば、数ヶ月前にチャールズ・オルソンという詩人の『マクシマス詩篇』なんてのを出版したばかり。これも自費出版なのだろうか。こちらは『クラレル』を超す1500頁の大冊である。価格は言わずもがな。チャールズ・オルソンがどれほどの詩人だったのかはよく知らないが、実はこの詩人には Call Me Ishmael というメルヴィル(の『白鯨』)理解の一助となる重要な書があるので、この詩人の名前をこちらの本で記憶しているというメルヴィリアンも多いはずである。もう半世紀以上も前に出た本だが、今読んでもけっこう面白く、いわゆる研究者が書いた本とは一線を画していると思う。ただし、オルソンはこの本の中で『クラレル』を「エイハブの太平洋は縮んでソドムの湖となった」と一蹴している。

<おまけ③>
先ごろ翻訳されたポール・オースターの『ブルックリン・フォリーズ』には、『クラレル』についての博士論文を書こうとして結局書けなかったという主人公の甥が登場する。その箇所には、'Clarel --- Melville's gargantuan and unreadable epic poem' (p. 27) と書かれている。'unreadable' という評価が一般的な見方であることの1つの証。
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by anglophile | 2012-06-12 17:43 | 読書 | Comments(0)
2012年 06月 10日
サッカーとか古本とか冷泉家とか
「古本のことしか頭になかった」ので、ユーロ2012が開幕したことを知らなかった。昨晩すぽるとを見ていたら、いきなり開幕戦のポーランド対ギリシャのダイジェストが流れ始めて、えっ!ちょ、ちょっと待った!なにそれっ、てな感じで大わらわ。あわててネットで試合日程などを確認して、ドイツ対ポルトガル戦が数時間後に始まることをつきとめた。あぶないなあ、もう少しで見逃すところだった。いちおう録画予約して午前3時を待つ。

気づいたら午前8時だった。あらら、寝てしもうた。録画予約しておいてよかった。ほんとに見逃すところだった。家族の者たちに新聞やパソコンなどをいっさい開かないようにと指示し、さっそく録画しておいたドイツ対ポルトガル戦を見ることにする。その前にデンマーク対オランダのダイジェストをやっていた。いやあ、興奮しますね、ユーロ。今夜はスペイン対イタリア、明日はイングランド対フランスと、今月発売される新刊書並みに濃い内容だ。絶対に見る! でも、念のために録画予約はしておこう。

ドイツ対ポルトガル戦を見終わってから、今日は午後から「金沢ペーパーショウ」というイベントに行ってきた。一箱古本市の実行委員の方々が古本コーナーを出されている。西部緑地公園内にある産業展示館は3号館の方で開かれているということだった。3号館がどこかわからずにあっち行ったりこっち行ったりしてようやく発見。隣のサッカー場ではツェーゲンの試合が行われているようだった。

会場に入っていくと、入り口で主催の中島商会さんから来場者に配られるクリアファイルをもらった。一箱古本市本箱隊のブースは入って右側の一角にあった。古本コーナー以外にも、紙漉体験とか子供が遊べるコーナーとかがいろいろあって楽しい雰囲気でにぎわっていたと思う。ぐるっと一周してから古本ブースへ。あうん堂さん、せせらぎさん、カルロスさんがいらっしゃり、ご挨拶申し上げる。おいしい珈琲と猫クッキーをいただきました。あうん堂さんとしばらくお話させていただいてから、本を見て回る。書道展示コーナーがあるので、書道関係の本も用意されていた。ちょっと前の雑誌(『サライ』とか『太陽』とか)もあってしばし立ち読み、座り読み。いろいろ見てから3冊買わせていただいた。

・金子國義 『アリスの画廊』 (美術出版社)
・ステーション倶楽部編 『駅-JR全線全駅 上』 (文春文庫)
・『太陽 1980年10月号 特集・藤原定家と百人一首』 (平凡社)
・ムーミンのクッキー

皆さんにご挨拶してから会場をあとにした。写真を何枚か撮ったのだが、なんとデジカメのデータがすでに一杯になっていて、撮ったはずの写真が収められていなかった。あられ~、次回への反省事項としたい。

帰ってきてから雑誌『太陽』を読む。ちょっと前に買った『芸術新潮 2009年11月号 特集・京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ』も面白く読んだのだった。この『太陽』は、1980年4月に京都・冷泉家の蔵が開かれ、藤原定家自筆の『明月記』などが発見されたことを記念したときの号。定家の書がカラー写真でたくさん紹介されていてとても楽しめる。冷泉家の長女である冷泉貴実子氏も文章を寄稿されている。この年まで高校の教員をされていたようだが、「今回の騒ぎで、いままで教鞭をとっていた高校を休職し、外部との交渉に追われている」と目次の紹介ページにある。寄稿文からは、一連の蔵騒動でかなり困惑されている様子が伝わってくる。
 今、私の部屋の真向いに「御文庫」は、親しくあるいは、気高く、見慣れた姿でいつものように存在している。その中に、当然家に伝わる文書典籍を秘めて。
 飛鳥の小山を掘ってみたら偶然彩色壁画を発見したのではない。茶畑で偶然、墓碑にいき当たったのではない。知っている人の間では、とうに存在していた家であり、蔵であり、書籍であるのである。
 (中略)
 先祖が地道に、頑固に守り伝えたこの書籍を、今、一瞬のブームに乗せてしまうことを、私は憂えている。八百余年の間には、今のように、世間の注目をあびたこともあったろう。高嶺の花だったこともあろう。又反対に、存在価値を完全に忘れられ、邪魔にされたことも、一度や二度ではなかったはずである。その波をくぐって、ひっそりと眠り続けて来た書が、私はこれからも、この家の蔵の中に、ひっそりと生き続けてくれることを願うのみである。天才も鈍才もなく、ただただ、常識的な人々であった我が祖先に、私は今深い敬意を払いたい。(84,84頁)
とはいえ、このときの報道のおかげで多くの研究者や研究所が冷泉家の文化財に関心を向けることにつながり、翌81年に財団法人冷泉家時雨亭文庫が設立されることとなった。このときのことは『芸術新潮』のインタビューで詳しく語られている。もし財団が設立されていなかったら、貴重な典籍などは莫大な相続税がかかるために売り払わなければならないというところまで行っていたという。貴実子氏は1984年にのちの冷泉為人氏(冷泉家25代目当主)と結婚することになった。『芸術新潮』には、お二人の微笑ましいツーショットが載っている。
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by anglophile | 2012-06-10 22:28 | 古本 | Comments(0)