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2010年 09月 30日
今日買った本   
・永井龍男 『雀の卵 その他』 (新潮社)
・山田風太郎 『人間臨終図巻<上巻>』 (徳間書店)
・山田風太郎 『風眼抄』 (中公文庫)
・山本健吉 『十二の肖像画』 (福武文庫)
・中島敦 『光と風と夢・李陵』 (元パラ帯付、新潮文庫)
・開高健 『開高健全ノンフィクション vol.3 路上にて』 (文藝春秋)

『十二の肖像画』で誤植を発見!もくじの「上林暁」が「上村暁」になっている。
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by anglophile | 2010-09-30 20:03 | 古本 | Comments(0)
2010年 09月 29日
グレアム・スウィフト 「イッシュとギターを買いに行った話」  
高行健『霊山』をちびちび読んでいる。もうすぐ半分くらいか。200ページを超えたあたりから、「こういう話なのかなあ」という見通しがやっと立ってきた気がする、だけかも。こういう幻想色の強い小説はあんまり慣れていないので読むのに余計に時間がかかってしまう。読み始めの頃よりはがんばっているが、先はまだ長いなあ。

気分転換に、先週話題にしたグレアム・スウィフトのエッセイ集 Making an Elephant を開く。パラパラやっていたら、"Buying a Guitar with Ish: Nagasaki, 1954-60" と題された一篇に目が行った。タイトルに「長崎」とあり、「あら、この人、日本に来たことがあるの?」とか、「Ish って誰だろう?」と興味を惹かれて読み始めてみた。冒頭の一文で、そのIsh の正体が明らかになる。
Kazuo Ishiguro --- Ish --- was among the first novelists of my generation I met, though I forget exactly when.
Ish って、カズオ・イシグロのことだったんだ!Ishiguro のIsh。イッシュ。意外と言いやすいな、この呼び方。ちょっと日本人の私には予想のつかないニックネームだった。スウィフトだけがIsh と呼んでいるのか、他の友人たちもそう呼んでいるのかも気になるなあ。どうでもいいことだけど。いずれにしろ、この2人、けっこう仲がいいようだ。もう25年以上のつきあいになるらしい。カズオ・イシグロは私も好きな作家なので興味津々になる。

このエッセイでは、イシグロがまだ日本の長崎にいたころのことについて触れられる。よく知られているように、イシグロは父親の仕事の関係で5歳の時にイギリスに渡った。そのうち日本に戻るつもりだったが、結局イギリスにずっと住むことになったらしい。イシグロの場合、幼少時に日本を離れたわけだから、日本にいた頃の記憶が少ない。そのなかで、イシグロがあるときスウィフトに次のようなイメージについて話してくれた。
ひとつ憶えているのは、子供のころ住んでいた長崎の家で、僕はベッドに寝そべって、父親が別の部屋で練習しているピアノの音を聞いていたんだ。父は同じフレーズを何度も何度も繰り返し練習していたね。
この話を聞いたとき、スウィフトはイシグロが音楽的な家庭に育ったことにいくぶん嫉妬を感じたようだ。イシグロはピアノとギターの腕前が相当のものらしい。一方、スウィフト自身は楽器を習ったことなどない。唯一、むかし学生だった頃に、友人からギターを買って独学で覚えようとしたことがあったそうだが、すぐに音楽(特に作曲)は自分には向いていないとあきらめたそうだ。

イシグロから幼かった長崎時代の父親のピアノの話を聞き、またそのころ創作に行き詰まっていて、なにか気分転換になるようなものがないかと考えた結果、スウィフトは何年も弾いていなかったギターに再挑戦してみようという気になった。ところが、ギターはボロボロで使い物にならない。そこで新しいギターを買おうということになった。でも、楽器屋に独りで行って、店員の前で下手な演奏をするのは気が引ける。そこで、音楽玄人のイシグロに一緒にギターを買いに行ってくれないかと頼んだのだ。滑稽だが、その気持はわからなくもない。
イッシュが助け船を出してくれた。その日は作家仲間の友人と過ごした最良の日の一つだった。また、小説を書くこととはまったく関係のないことで友人のありがたみを感じるうれしい日でもあった。その日の朝、私はギターを買いに行くために、チャリング・クロス街から少し離れたデンマーク通りでイッシュと待ち合わせをしたのだった。
作家同士なのに、本業以外の部分で結ばれている友情っていいなあとおもう。でもやっぱり滑稽だ。2人が一緒にギターを買いに行くという絵が想像できない。
自分が望んでいるもの(それが正確にはなんだったのかは措いておいて)が見つからなくてもやむをえないぐらいの気持でいた。その一方で、イッシュにまた同じような面倒をかけることになったらどうしようかともおもった。
とにかくこの日1日で気に入ったギターを見つけたいという思い。残念ながら、デンマーク通りの楽器屋には欲しいギターがなかったが、2軒目に行ったラスボーン通りの楽器屋でお目当てのギターと出会うことができた。ちゃんとイシグロに弾いてもらって音色を確かめたそうだ。以来、仕事に疲れたときにはこのギターを弾いてひとときの癒しを得ているということだ。なんてささやかな愉しみなんだろう!とおもった次第。

ちなみに、スウィフトが買ったクラシック・ギターは、スペインのAmalio Burguet というメーカーのもの。調べてみたが、そこそこの値段はするらしい。スウィフト自身は、そんなに高いギターを買っても宝の持ち腐れかもしれない、と謙遜してはいる。
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by anglophile | 2010-09-29 04:08 | 読書 | Comments(0)
2010年 09月 27日
第2回一箱古本市@源法院   
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今日は先月に引き続いて「一箱古本市@源法院」に参加してきました。ひと月前の暑さはどこへやら、気持のよい秋空のもと、愉しい一日を過ごすことができました。以下、本日の様子について書き留めておきます。

予定通り、8時起床が9時起床になり、マーガリンと苺ジャムを塗ったトーストをかじりながら車で会場に向かいました。前回は源法院の場所を漠然としか把握していなかったので不安でしたが、今日はもうそんな心配もなく、余裕がありました。その証拠に、予定通り、8時起床が9時起床になり、マーガリンと苺ジャ...

会場ではすでに多くの店主さんたちが準備をされていました。そのなかには前回出店された方も数名いらっしゃいました。前回お会いできなかったNYANCAFE-BOOKSさんにご挨拶申し上げ、次にオヨヨ書林さんに参加料を払って、場所決めのくじを引きました。今回の位置は入り口横の石塀の前となり、両隣に他の出店者の方々がいる形で、少々緊張しました。すでに箱は設置されており、気持に徐々にエンジンがかかりはじめます。一通り箱に本を並べ終えて、ふと横の方の箱と屋号を見ると、「古本 くうきむし」とありました。京都からはるばる参加されたairbug さんでした。先日もコメントをいただき、こちらもいつもブログを拝見している方の横に陣取ることができ、なにやら今日一日が愉しくなる予感がしてきました。

10時になり、開店です。天候にも恵まれてか、前回にまして源法院前を通っていかれる人たちが多かったように感じました。出だしは静かでしたが、徐々に何人かの方々が箱の前で足をとめていかれます。しばらくして、前回も出店されていたミヤタ書店のご主人がいらっしゃり、内田樹と前田愛を買ってくださいました。私もあとでミヤタさんの箱で安岡章太郎編『私の文章作法』(文春文庫)を買いましたが、このときご主人に「ブログ読んでますよ」と言われ、もうすぐ1年になるこのブログのことを想い、とても嬉しくなりました。

さて、横にいらっしゃったairbug さん、その箱の中身はいい本が多く、失礼ながら横目でちらちら拝見しておりました。やがてがまんできなくなった私は早々に以下の2冊を購入。お手製の栞もいただきました。

・久生十蘭 『湖畔/ハムレット 久生十蘭作品集』 (帯付、講談社文芸文庫)
・山本善行 『古本のことしか頭になかった』 (大散歩通信社)

十蘭の文芸文庫は一瞬だけ他の方の手に渡りそうになりましたが、こちらの念力が通じたのか、かろうじて箱に戻されました。そして山本善行さんの新著も手に入れたかった本で、もう内容を見なくてもおもしろいことは確定しているので、ビニール袋は開けませんでした。airbug さんのお勤め先は山本さんの善行堂の近くで、毎日のように通われているらしい。うらやましいかぎりです。「余は如何にして古本者になりし乎」という話になったときに、airbug さんも善行堂を通じてこの世界に入られたとおっしゃっていました。私自身も、3年前に読んだ『関西赤貧古本道』(新潮新書)がきっかけでしたので、おもわずニヤけてしまいました。

お昼をすぎたあたりで、龜鳴屋さんがいらっしゃいました。百閒の文庫を購入いただきありがとうございます。ちなみに、龜鳴屋さんはあうん堂さんの箱からPercival Lowell の能登探訪記を買われていました。120年前の本で、渋いなあとおもった次第です。近いうちに、またお会いできればとおもっております。

14時をすぎた頃から、お客さんの数はそこそこですが、なかなか買ってもらえず、辛抱の時間となりました。横に座っていた息子も少々お疲れのご様子。私の方は箱にある本を並べ換えたりしながら、気分転換に努めます。というような感じで残り時間を過ごし、最終的には27冊買っていただきました。前回には及びませんでしたが、まずまずといったところでしょうか。売りに行くのか、それともこだわりの本を並べるのか、そこのところのバランスの取り方が難しいと感じましたが、そんなふうなことを考える余裕もあったということだろうとおもいます。一箱の小宇宙はかくも深淵なり。

以下、購入いただいた本を列記します。

・色川武大 『離婚』 (文春文庫)
・須賀敦子 『ヴェネチィアの宿』 (同上)
・須賀敦子 『コルシア書店の仲間たち』 (同上)
・中井英夫 『虚無への供物』 (講談社文庫)
・幸田文 『番茶菓子』 (講談社文芸文庫)
・『戦後短篇小説再発見⑥』 (同上)
・北村薫/宮部みゆき編 『名短篇、ここにあり』 (ちくま文庫)
・武田百合子 『遊覧日記』 (同上)
・T.S.エリオット 『キャッツ』 (同上)
・前田愛 『都市空間のなかの文学』 (ちくま学芸文庫)
・内田百閒 『第三阿房列車』 (福武文庫)
・内田百閒 『漱石先生雑記帖』 (河出文庫)
・椹木野衣 『シミュレーショニズム』 (同上)
・『日本探偵小説全集 小栗虫太郎集』 (創元推理文庫)
・穂村弘 『本当はちがうんだ日記』 (集英社文庫)
・『ちくま日本文学全集 金子光晴』 (筑摩書房)
・『ちくま日本文学全集 幸田文』 (同上)
・『ちくま日本文学全集 夢野久作』 (同上)
・堀江敏幸 『いつか王子駅で』 (新潮文庫)
・J.ラヒリ 『その名にちなんで』 (同上)
・白洲正子 『白洲正子自伝』 (同上)
・つげ義春 『貧乏旅行記』 (同上)
・吉田秀和 『私の時間』 (中公文庫)
・町田康 『テースト・オブ・苦虫1』 (同上)
・町田康 『猫のあしあと』 (講談社)
・村上春樹 『走ることについて語るときに僕の語ること』 (文藝春秋)
・内田樹 『街場の現代思想』 (同上)

最後に、実行委員や他の出店者の皆様、今日も本当にありがとうございました。
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by anglophile | 2010-09-27 01:19 | 一箱古本市 | Comments(8)
2010年 09月 25日
加賀方面へ   
加賀のブックオフが今月末で閉店する。今日は閉店前最後の週末なので、何かやってそうな気配を感じ、ふらふらと行ってきた。セールは「全品50%引き」で、かなり人が来ていた。店内に入ると、全体的に棚に空きが出来ていた。このセールはいつからやっていたのだろう。大方めぼしい本はもう売れたのだろう。その中で1冊買うことができた。

・川本三郎 『いまも、君を想う』 (新潮社)

半額の半額で325円だった。ときどき訪れていたブックオフの閉店セールでこういった本に出会えるのはうれしいことだ。

そのあと、このブックオフの近くにある「加賀フルーツランド」でぶどう狩りをしてきた。果物狩りは私自身今までしたことがなく、子供にも体験させてやりたかったので行ってみた。が、ちょっと入場料が高かったなあ。それに食べ放題といえども、ぶどうなんてそんなに食べられるわけがない。Too commercial! とつぶやいた。

帰りには小松のブックオフにも寄ってみた。「20周年大感謝祭」なのに何にもやってなかったよ。やっぱり期待しないほうがいいな。まあ、でも105円棚から以下のようなものを買えた。

・正宗白鳥 『内村鑑三/我が生涯と文学』 (講談社文芸文庫)
・幸田文 『ちぎれ雲』 (同上)
・『文藝2006夏 特集 高橋源一郎』 (河出書房新社)

105円棚に文芸文庫があると胸がトキメキます。一方、『文藝』の高橋源一郎特集も買えてうれしい。むかし書店で立ち読みしたような記憶が。内容は、フルコースの執筆陣が魅力的。ちょっと変わったところで、高橋の『さよなら、ギャングたち』を英訳した翻訳家のマイケル・エメリック(吉本ばななの多くを英訳している人)の文章が興味深い。この人は阿部和重の短篇なども英訳しており、私としては今後大いに期待している翻訳家のひとりである。ひそかに、来年の春に出るらしい New Penguin Parallel Text: Short Stories in Japanese という日本文学アンソロジーをアマゾンに予約注文してあったりする。これはエメリック氏が編集をしている。

さて、明日は一箱古本市だ。まだ値札のスリップを挟む作業が終わっていない。今からやりますよ!今度は絶対にカメラを持っていこう。
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by anglophile | 2010-09-25 21:56 | 古本 | Comments(0)
2010年 09月 23日
中古カメラウィルス   
赤瀬川原平『ライカ同盟』(ちくま文庫)の「はじめに」より。
 いたって真面目な話だが、病気の問題、医療制度のことである。エイズなど新病もなかなか治すことができずに大変なようだが、私は最近中古カメラの病気にかかってしまった。この患者はじつは昔から多く、男性の三割、あるいはほぼ半数がその潜在患者だろうといわれている。
 私も危ないのでこれまで気をつけていたのだが、あるとき、デパートの中古カメラ市にふと足を踏み入れて、たちまち中古カメラウィルスにとりつかれてしまった。
 とにかく仕事ができないのである。欲しいカメラがつぎつぎに湧いてきて、いままで馬鹿にしていたタイプのカメラまで、あるふとしたきっかけで欲しくなる。眩しいくらいに輝きはじめる。中古カメラ病の特徴である。治そうとして病気へ行ってもウィルスは検出できない。
 この点がコンピューターウィルスにちょっと似ている。あれも病院では検出できないけれど、病気はどんどん広がる。まるで死んでしまうことはないらしいが、やはり健全な仕事に支障をきたす。
 中古カメラの病気もそうで、これで死んだという人の例はまだないけれど、仕事が停滞してしまい、健全な社会生活が送れないという人は数多くいる。そうなっては困るわけで、私も病気が昂じて病状が激しくなってくると、治すために町へ出る。町には中古カメラ屋がぽつぽつとあり、それをちょっとのぞいたりして、レンズを一つちょっと買ったりしていると、とりあえず病状は治まったりする。
 同病相憐れむというか、同じ穴の狢(むじな)というか、周囲にはそういうキャリアが多い。ときどきは患者同士連れ立って町に治療に出るわけで、町の中古カメラ屋のことを私たちは診療所と呼んでいる。病院とか医者ともいう。
 「ちょっと病院に行こうか」
 と声をかけて、最近の新薬のこととか、効くと評判の医者とか、情報を交換し合ったりしている。
 困るのはこの治療費だ。安いレンズで治っているうちはいいが、ライカウィルスとかに罹ったら、大変である。すべて自費治療であるから、ボディー、レンズ、アクセサリーと買っているうちに、ふらふらになる。金がいくらあっても足りない。探す時間も足りない。このままダメになって死ぬのでは...、と思うときもあるほどだ。
 そこで思うのは、健康保険である。私も毎年、多額の保険金を納入している。ところが、この保険が中古カメラの病気には適用できないという。何故なのか説明はない。患者たちがこれだけ苦しんでいるというのに、いまだに治療費は、患者の全額負担だ。最近、漢方医療には少しずつ保険の道が開かれてきた。中古カメラへも早期適用を望む。ライカM3とかコダックエクトラとかが保険の適用で半額、あるいは三割、もしくは全額免除で入手できたら、私も病気から救われて、文学などに邁進できる。
思わず苦笑いしてしまった。古本ウィルスに、私の方は感染しています。
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by anglophile | 2010-09-23 21:59 | 読書 | Comments(0)
2010年 09月 21日
グレアム・スウィフトのギリシャ   
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Graham Swift, Making an Elephant: Writing from Within (Picador, 2010)がアマゾンから届いた。Swift はイギリスの作家で、1996年にLast Orders (邦題『最後の注文』)でブッカー賞を受賞している。本書は、昨年出たばかりのSwift の初めてのエッセイ集。ちょっと前にアマゾンで立ち読みしたら、すごく興味をそそられ、ぺーバーバック版がちょうどこの夏発売されるということだったので注文してあったのだ。ちなみに、タイトルになっている"Making an Elephant" は、オーウェルの"Shooting an Elephant" を意識しているのだろう。同名のエッセイ(内容はSwift の父親の小伝)も収められている。

Swift の本はその昔Waterland と上のLast Orders を買ったりしたが、ついに読破できずに棚の奥。情けない話だが、こちらの英語力が乏しかったせいもあってか、どうもその作品世界に入り込めなかった。それから10年以上経ったが、この夏たまたまこの作家の短篇の1つを、すばらしい注釈書の助けを借りて読む機会があり、その巧さに今さらながら気づいたのだった。その短篇は、私の好きなWilliam Trevor の短篇に匹敵するほどの出来映えだった。でまあ、他の作品もちょっと読んでみようということで、比較的読みやすそうなこのエッセイ集を購入することになった。

小説とエッセイ集とのちがいはあるが、本書でも十分にSwift の緻密な英語(挿入句の多用が特徴的か)を堪能できる。今回は、この中に収められている"Isaac Babel: Greece, 1967" と題されたエッセイを紹介したい。これは、17歳だったSwift が高校を卒業し、ケンブリッジ大学に入学するまでの5ヶ月間(具体的には、1967年の5月から9月まで)、トルコからギリシャを旅したときのことを回想したものである。当時、ギリシャでは軍事クーデターが起こっていたようだが、そんなことはお構いなしに若きSwift は旅立った。実は、このエッセイでは、若き日の旅行記だけでなく、その旅の途中で初めて読むことになったあるロシア人作家についても論じられている。今や作家としての地位を築いたSwift が、作家以前の若き自分の姿をふり返る様子は哀切でもあり瑞々しくもある。

人は人生のあるとき、ある特定の場所、ある特定の状況で、自分だけにしか感じられないインスピレーションを感じることがある。それは特に若いころに顕著なのではないか。その啓示は、自分以外の人間にとってはさほど意味を持たないが、本人にとっては人生を左右するほどの特別な瞬間をもたらすことがある。

5ヶ月の旅も終わろうとしていた1967年9月、18歳になっていたSwift はギリシャの北にあるテサロニキにいた。本国イギリスに帰る電車が到着するまでまだ2日ほどあった。特にすることもなく、とりあえず暇をつぶさなければならなかった。旅のあいだずっと活字らしい活字を読んでいなかったことにふと気づき本屋に寄った。そのとき買ったのが、ペンギン・ブックスから出ていたIsaac Babel, Collected Stories のペーパーバックだった。Babel はスターリン時代の圧政下、失意のままに亡くなったロシアの作家だ。このエッセイの冒頭で、Swift は「影響を与えた作家」というテーマについてこう考察している。
「影響」という言葉自体が誤解を招きやすい。一般的に、この言葉は、ある作家の文章が他の作家の文章に直接影響を与え、その骨格を作ってくれるということを意味するのだろうが、しかし最も重要な影響というのはそういう意味での影響では決してない。最も重要な影響を与えてくれるのは、それとは別の種類の作家、すなわち文体上の影響を与えてくれるわけではないが、それでも書きたいという純粋な欲求に何度も火をつけてくれるような作家なのである。
Swift にとってBabel はそういう作家だった。文体上の影響というよりも、物を書きたいという気持に常に火をつけてくれる作家。Swift がBabel に親近感を感じたのは、Babel 自身が自分はなるべくしてなった作家だったとはおもっていなかったことにあるようだ。Babel にとっては書くという行為は決して楽なことではなかった。苦しみを感じながら筆を進めねばならなかった。まだ若かったSwift は作家になりたいという気持を持っていたが、一方で果たして自分が本当に作家になれるのかという不安を持っていた。
自分が作家になる唯一の方法は、意識的に自分をそう変えていくことであり、自分の中にある作家性を捻り出すことだ。努力しなければならないのだ。しかし同時に私はそうすることを恐れた。なぜなら自分の中にその作家性がないということを知ってしまう可能性があったからだ。
作家になるためにそれに見合う努力が必要だし、また努力しても作家になれるとはかぎらない。Swift はBabel がそのことを知っていたと考えていたし、その苦労を自ら実践していたBabel の姿を唯一の頼りとして、作家になるという自身の意思をかろうじて保ち続けたのだ。私が興味をひかれるのは、もしSwift がBabel を母国イギリスで読んだとすれば、果たして同じような気持になれたかどうかということである。おそらくなれなかったのではないかと私はおもう。ギリシャという異国の地で一人旅をしながら研ぎ澄まされていった若き感性がBabel の言葉ひとつひとつに反応したのだ。そういうとき人間のアンテナの感度は最高値を示すものだから。

さて、このSwift が買ったペンギン版のCollected Stories だが、実は私も持っていたのでちょっと驚いた。それがこちら。
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正確にはこの版であったかはわからない。Babel のこの本がペーパーバック版になったのは1961年で、私のは1971年に出たreprint 版である。Swift が買ったのは1967年だから最初の版のはずである。この版がどのような装幀なのかわからないが、もしかしたら単に重版として出ただけのもので、装幀も同じなのかもしれない。一方、内容の方は、Swift もエッセイ中で触れているLionel Trilling の序文があるので、同じはずである。この表紙の絵は、1920年のロシアの騎兵隊の徴兵用ポスター。鮮やかな赤がなかなかいい。

それにしても、なぜこのCollected Stories を買ったのかはおぼえていない。なんとなく買っておいたとしかいいようがないが、こんなこともあるのだなあとしばし感慨に耽った。

ところで、Swift の書斎の壁には、Babel の写真が飾られているそうだ。
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by anglophile | 2010-09-21 22:59 | 読書 | Comments(0)
2010年 09月 19日
ときには道に迷うことも大事   
今日からブックオフの「20周年大感謝祭」が始まるので少し遠出してその様子を見てきた。あんまり期待していなかったのだが、案の定、どこも「単行本2冊で1200円」とか「文庫・新書が1冊250円」というおなじみのセール内容だった。2、3軒まわって、

・高橋源一郎 『日本文学盛衰史』 (講談社文庫)
・『カフカ・セレクションⅡ』 (ちくま文庫)
・O.ワイルドほか 『ゲイ短編小説集』 (平凡社ライブラリー)
・ピーター・ケアリー 『オスカーとルシンダ』 (DHC)
・ピーター・ケアリー 『ケリー・ギャングの真実の歴史』 (早川書房)
・虫明亜呂無 『虫明亜呂無の本・2 野を駈ける光』 (筑摩書房)

などを拾う。『ゲイ短編小説集』はちょっとストレートな書名だが、「英米短篇集」のひとつとして考えてよい。ワイルドの「幸福な王子」とかモームの「ルイーズ」が収録されていて、へぇーとおもう。これらも広義のゲイ小説ということなのだろう。なかなかおもしろい解釈だとおもう。『オスカーとルシンダ』と『ケリー・ギャング~』はどちらもブッカー賞受賞作。ひとりの作家が2度ブッカー賞を受賞したのは、このピーター・ケアリーとJ.M.クッツェーだけだ。虫明亜呂無の本は、1と3を前に見つけたので、2があってちょうど揃った。でも、私は競馬はまったくわからないのであった。

今日のハイライトは実は上のブックオフではなく、2軒目から3軒目に行く途中、道に迷ってしまったおかげで発見することになった一軒の小さな古本屋である。この店、大通りには面しているのだが、閑古鳥が鳴いていた。私が入っていったときには誰もいなくて、あとからおじさんが入ってきた。このおじさん、さっきまで隣の理髪店の店先にいたおじさんだった。私が店にはいるのを見てあわててやって来たのだろう。まあ、そんなかんじのお店だった。

店内は6畳くらいで狭かったが、それなりに整理されている様子だった。置いてある本は、3分の1が「大人の本」、3分の1が漫画、残りの3分の1が文庫本・単行本だった。文庫棚は2列、単行本棚は1列で、そんなに量は多くなく、さーっと見ていった。ところがそこに思わぬ本が!

・佐藤泰志 『きみの鳥はうたえる』 (河出書房新社)

「えっ!」とおもった瞬間、もう手は本を掴んでいた。地道に探していると出会えるもんだなあ。感無量。その他にも、

・古山高麗雄 『湯タンポにビールを入れて』 (講談社)
・ウェルズ 『トーノ・バンゲイ(上)(下)』 (岩波文庫)
・岸田劉生 『抄録 劉生日記』 (同上)

を購入した。道に迷っていなければこの店にたどり着くことはまずなかっただろう。
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by anglophile | 2010-09-19 00:15 | 古本県外遠征 | Comments(10)
2010年 09月 18日
ときどき思い出してはすぐに忘れること   
なんとかこの1週間を乗り切った!週末の休日が3日あるのがうれしい。3日ぐらい休日があるのがちょうどいい。なまけものの思想。

さて、ちょっと古い話かもしれないが、松浦弥太郎さんが2006年の1年間(?)『群像』に連載していたエッセイ「僕の古書修行」のことをときどき気になって思い出す。私は1月号と10月号をたまたま買っていて、あるときそのエッセイが載っていることに気づいた。1回分が4ページという短いものなのだが、読んでみるとこれがなかなかおもしろい。古本者の心をくすぐってくれる。

この連載は1年分を合わせても1冊の本にするほどの分量に満たないだろうから、単行本にはなっていないとおもう。松浦さんの本は何冊か持っているが、それらにも収録されている様子はない。1月号と10月号しか読んでいないので、残りの号の連載がずっと気になっている。気にはなっているのだが、いつも次の日になるとそのことを忘れてしまっている。そういうのをこれまで5回以上繰り返している。で、よく考えてみたら、図書館に行けばバックナンバーがあるだろうから、それを読めばいいではないか、ということにさきほど気づいた。たぶんそのことにもこれまで3回ほど気づいているとおもうが、いつも次の日になるとそのことを忘れてしまっている。現に、しばらく前に図書館に行ったときも、そんなことは忘れていた。そろそろバックナンバーを読みに行くことを実行に移してもいい頃かとおもうが、まあこのままでもいいかともおもう。そんなことをおもいながら、今日も10月号を書棚の奥から取り出して読んでみた。これで何回目だろう。

断片的にしか読んでいないのでその全体の内容は分からないのだが、これはひょんなことから知り合いになった、松浦さんが師匠と呼ぶことになるA氏との関係を描いたもののようだ。A氏は85歳で、エッセイと随筆の研究をしている老人。でも、もう先は永くない。あるとき、随筆集を主に扱う古書店「カウブックス」を営む松浦さんのもとに、このA氏から手紙が届き、そこからこのA氏との奇妙な関係が始まる。

ずーっと飛んで、10月号には、しばらく音信不通だったA氏がふらりと松浦さんの店に現れたときのことが書かれている。久しぶりに店を訪れたA氏はこう言った。
「貴方、どうしてこんなに茶色い本ばかりを集めるのですか。まあ、大抵の古書店はこういった三十年前くらいの文学書の初版を集めたがるけれど、それは一体誰が買うのか知っていますか。これらの本を有り難く手にするのは、読書家ではなく、ただの古書マニアですよ。古書マニアは本を買っても読むことはせず、ただ飾るだけです。貴方の店はそういう客のための古書店ではないでしょう。ねえ」
松浦さんは何も言えない。レジの上にあった買い取ったばかりの横光利一『機械』の初版本を見てA氏はこう続けた。
「その横光利一の『機械』はマニアが欲しがる本です。程度が良ければ四、五万でも売れるでしょう。だけど一般の人は買いません。読みたければ文庫で読めるのです。すぐそこのブックオフに行けば三百円で買えますよ。いつから貴方はこういう本を売るようになったのですか。質の高い随筆を専門とする古書店にしたいと言っていたではありませんか」
松浦さんは言葉が出てこない。
「貴方、最近本を読んでいないでしょう。古書店の店主というのは、段々と本なんて読まなくなります。本を読まずに商売ばかりを考えます。ある意味それは仕方がないことだけれど、本を読まない店主の古書店に新しさなど生まれませんよ。新しくない古書店というのは、物ありきのただの古書ブローカーであるということです。マニア向けの高い本ばかりを右から左に動かすだけです。貴方はそうなりたいのですか...」
もはや絶句状態の松浦さんをA氏は一喝する。
「しっかりしなさい。大ばか者め!!」
この「愛情」の深さにじーんとなる。いつ読んでもシビれる。このあと一体どうなったのだろう。
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by anglophile | 2010-09-18 04:14 | 読書 | Comments(2)
2010年 09月 16日
今日買った本   
仕事の苛烈さがいっそう増してきているように感じたので、仕事帰りにブックオフへ避難する。

・日下三蔵編 『怪奇探偵小説名作選(4)佐藤春夫集―夢を築く人々』 (ちくま文庫)
・吉田秀和 『ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿』 (中公文庫)
・吉田秀和 『レコードのモーツァルト』 (同上)
・『ギャスケル短篇集』 (岩波文庫)
・萩原朔太郎 『青猫』 (集英社文庫)

『佐藤春夫集』は700円だった。このちくま文庫シリーズはすでに絶版で、なかなか見かけない文庫。こういうのは105円でなくてもうれしい。一方で、佐藤春夫の本はほとんど読んだことがないので恥ずかしい。佐藤のミステリー物では、ほかに文芸文庫から『維納の殺人容疑者』というのが出ている。

この『佐藤春夫集』には、佐藤自身が書いた探偵小説関係の評論も収められていて、なかなか渋い内容だ。前に読んだ『怪奇探偵小説傑作選(3)久生十蘭集』もそうだったが、このシリーズはおそらくどれも一歩踏み込んだ編集が成されているのだろう。十蘭集には、都筑道夫の「ハムレット」論などが収められていて、とても参考になった。そういう意味でも、ただのシリーズ物とは一線を画しており、古書価が多少高めなのも無理はない。105円になるのを待っていたら、いつ手にすることができるかわからない本のひとつだろう。近いうちに読んでみたい。

とりあえず、今は『霊山』を読み継がねばならない。
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by anglophile | 2010-09-16 20:27 | 古本 | Comments(0)
2010年 09月 13日
仕事帰りに   
午後から出張があり、そんなのはソッコーで片づけ、帰りにオヨヨ書林に寄ってきた。けっこう久しぶり。表の100円均一で、清水俊二『映画字幕五十年』(早川書房)を手にとって店内へ。

店内の様子が少し変わっていた。以前来たときにはなかった大きな本棚が店の中央にどかーんと置かれていた。入り口付近の文庫棚の前には大量の段ボール箱が山積みされていた。本の整理中といった感じ。

文庫本の棚を見ていくと、分厚い文庫が目に留まる。おお、久生十蘭ではないか!朝日文芸文庫の『顎十郎捕物帳』だ!!帯も付いている!!!何よりその分厚さがいい!!!!値段を見ると700円。200円以上の文庫を買うときはこういう本を買いたい、とつぶやく。

やっぱり寄ってよかったオヨヨ書林。
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by anglophile | 2010-09-13 22:37 | 古本 | Comments(0)