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2010年 04月 25日
100円ショップへ
今日は昼すぎまで仕事。そのあと100円ショップへ。

・『ブレイク抒情詩抄』 (寿岳文章訳、岩波文庫)
・谷内六郎 『谷内六郎展覧会〈春〉』 (新潮文庫)
・色川武大 『離婚』 (文春文庫)
・シリトー 『長距離走者の孤独』 (集英社文庫)
・古井由吉 『槿』 (福武書店)
・後藤明生 『自分のための文章術』 (三省堂選書)
・伊藤整 『雪明りの路』 (ほるぷ)
・佐藤春夫 『病める薔薇』 (同上)

新刊書店には寄らなかった。木曜日に行ってみるつもり。GWはもしかしたら五連休をもらえるかもしれない。そわそわしてきた。
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by anglophile | 2010-04-25 19:12 | 古本 | Comments(0)
2010年 04月 24日
「ブ」から「新刊書店」へ   
昼からブックオフへ。特にセール等はやっておらず。一〇五円棚から数冊拾う。

・モーム 『劇場』 (新潮文庫)
・ポール・モラン 『シャネル』 (中公文庫)
・ウィリアム・トレバー 『フェリシアの旅』 (角川文庫)
・矢作俊彦 『ロング・グッドバイ』 (角川書店)
・関川夏央 『石ころだって役に立つ』 (集英社)

そのあと、野呂邦暢『夕暮の緑の光』を手にとりたくて書店に行った。が、まだ入荷してはいなかった。うーん、残念。アマゾンではもう買えるようだが、これは是非手にとってからレジに持っていってお金を払って買いたい本だから。そういう本との初対面に私はこだわるのである。こだわりたいのである。明日再挑戦してもいいが、まだ入っていないだろうなあ。気長に待つことにしよう。

そのほかにも欲しい本があったので買う。

・『現代思想 5月臨時増刊号 総特集 ボブ・ディラン』

これは昨日だったか、林哲夫さんのブログで紹介されていて知った。『ユリイカ』じゃなくて『現代思想』か!とうなってしまった。ふつうじゃありえない組合せである。表紙のデザインもポップで、いつもの『現代思想』と少しちがう顔だ。さすがディラン、か。
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by anglophile | 2010-04-24 23:24 | 古本 | Comments(0)
2010年 04月 22日
働くことと書くこと   
数回前のエントリーで、庄野潤三を引用した。それは、働きながら小説を書くことを目指す人たちへ向けて書かれた「文学を志す人々へ」という題のついた随筆だった。実は、その文章を長々と引用しながら、私は同時にむかし読んだ中上健次のエッセイのことを思い出してもいた。それを久しぶりに読み返してみた。

第一エッセイ集『鳥のように獣のように』(講談社文芸文庫)には、一九七一年から、七六年に「岬」で芥川賞を受賞するまでに書かれた文章が主に収められている。中上は、七〇年、二四歳のときに羽田空港に勤め出すが、仕事の内容は、貨物の運搬で、実質肉体労働だった。一方で、すでに雑誌『文芸首都』などに短篇を発表し始めてもいた。つまり、この時期、肉体労働に従事しながら小説を書くという境遇に中上はいたわけだ。それについてこう書いている。
貨物を組んだり、ばらしたり、それを飛行機にのっけたりおろしたりすることが今のぼくの職業だが、ぼくは一度だってそのことを文学的に意味があるのだと考えたことはない。(中略)この職業は文学とまるっきり無関係だと言ってよい。それだけぼくにとってはこころよい。ある大手の航空会社の子会社の、そこだけ切りはなされた貨物二課というところに属し、フライング・タイガーという貨物専用便の下請けに一人分の労働力そのものとして働いているのだが、労務提供の会社がどのようにしめつけ、わく組みをきめても、貨物とつらつきあわせるたびにじょじょにわきあがりひろがるアナーキーな労働の形が好きだ。(「働くことと書くこと」〔七三年〕)
では、肉体労働者として働く中上にとって「書くこと」とは何であったのか。
太宰や安吾や織田作のころなら、書くということそのことがなんの手つづきもいらず自分の倫理的な基盤と結びつくのだろうが、小説を書くということがただちに社会的地位に結びつくように錯覚をおこさせる毒がうすめられ、しごく口あたりのよいものになった現在、それは、一人の若い作家が自分に課した修練でもある。いや、こんな言いかたはきたならしい。ぼくは作家である前に、一人の普通の単純に生きている男だ。単純に生きようとしているのではなく単純に生きているのである。(同上)
この少しあとに、中上は「書くということと実生活と、静止することと行動することとを同時に自分の中に」持っていたいと述べている。それらは中上にとって不可分であったようだ。このような状況で細々と創作を続ける中上は執筆のための時間をなんとか捻出しようとする。
つらいといえば、夜勤の時、人目につきたくないばかりに、仮眠中の同僚のジャンパアまで借りて、洋式便所を机がわりに物を書いた記憶である。(「不思議な場所」)
すさまじい努力である。庄野潤三が言及していた夜を徹して執筆に励む鴎外を彷彿させるといったら言い過ぎか。しかし、中上は、肉体労働者が集まる仕事場において、自分が小説を書いてもいることを知られないように努めていたらしい。
せめて、女房子供を養う金はキタなくかせぎたくない、とそんな考えが、いつも職を選ぶときに、出てくるのである。子供の頃から、土建屋の家に来る男たちがそうであったように、まさに身を粉にして汗水たらして、働いて、飯を食うべきだ、と。体を使わず、頭を使う商売は、キタない。だから、一度も、自分から単純肉体労働者たる同僚に、小説を書いている、物を書いていると言ったことはない。履歴書にも書いたことはない。(同上)
「頭を使う商売」のみに従事することに後ろめたさを感じていた中上は、しかし結局、「小説家である素性がバレたこと」で、羽田を退職することになった。七四年のことである。次のような言葉も切実である。
バレて、自分たちより一つ上の知識階級の者だと、マツリあげられはじめた。いや、自分の方で意識しはじめた。小説とは何なのか?といま、ここで正面から問う気はないが、小説が知識の産物では、息苦しくてしようがなくなるのは確かである。小説は知識人のものではない。そう思っている小説家の自分が、同僚たちから階級を一つでも二つでもとびこえられる者としてみられるのは耐えられない。物を書くだけでも充分にキタないのに、生活の糧を得る為の労働までキタなくしたくない。(同上)
このように、この時期の中上は「労働」と「創作」のあいだで揺れていた。食べていけるかどうかはっきりしない新進の作家たちが通る道ではあるのだろう。また、鴎外ばりに創作意欲があったとはいえ、空港の仕事を辞めて執筆に集中できたかというとそうでもなかったらしい。
しばらくの間は、あんなにほしいと思っていたその時間をたっぷり使って、小説三昧に暮らそうと思った。たしかに、たっぷりとあふれるほどある。書きたいものもある。兄のことも、姉のことも、母のことも、いや、書きようによっては典型的な私小説になる素材を、対象化するということもやらなくてはいけない。毎日、喫茶店を転々としているが、小説三昧に暮らしているその耳元で、嫌だ、無意味だ、という嘲笑がきこえる。おまえは幽霊といっしょじゃないか。この現実を生きていないじゃないか。小説を書くのを止めろ。この現実を、単純な生を生きる男として、生きろ。いったい、なんということだろう。(「初発の者」〔七五年〕)
若かった中上はこの「嘲笑」に苛まれるが、これらの文章を書きながら、自らを鼓舞するかのようでもある。
実に柔で、初だと思う。それが、新人という初発の者の、強味であり、弱味であるのだろう。たかが半年、現場の物の世界から離れ、いわば筆一本の生活の真似事をやってみたにすぎないのに、おたおたする。荒れてくる。(中略)要するに、ピンを一本抜けばいい、簡単なことだ、物の世界に働きに行けばいい。経済の事も解決する。確かにそうだ。だから、もう一度、働きに出る。嘲笑をねじふせる。生きる。(同上)
所収の年譜には載っていないが、このあと中上は羽田とは別のところでフォークリフトの運転手として再び働き始める。しかしこれは不景気のため正式採用にもならず、一ヶ月ほどで辞めたらしい。そして、この時期に中上は「岬」を書き始めてもいるのだった。

これまで中上健次に関心を寄せてきたなかで、一つわかったことは、この作家には相当な「体力」があったということである。もともと関取になれるくらいの巨漢であったから当たり前なのだけれども。でも、体の大きさだけではなく、あらゆる面で旺盛な欲求が発露され得る人物だったのだと思う。ヴァイタリティーといってもいいだろう。ヴァイタリティーとは「生きる力」である。私自身それほどの「体力」がないので、よけいにこういう欲求が旺盛な人物に憧れのようなものを感じるのだが。
肉体が過剰なのである。肉体が健康でありすぎるという病気にかかっている。肉体がくたくたになってはじめて、小説家としての手が動き出す。小説を書きはじめて、十年、昔も今もそれは変らない。ただ薬の代りに、酒を飲む。肉体労働で疲れて、それがまた自分の過剰を制御することになっていたのが、今は徹夜の深酒で疲れる。芥川賞をもらえば、筆一本で食えると人からよくきかされたが、もらってしまった今、筆一本の生活で、過剰を制御するには、どうすればよいのか、思案にくれる。(「作家と肉体」)
中上健次は四六歳で亡くなったが、私のような普通の人間の倍以上の濃い人生を送ったはずだと私は思っている。
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by anglophile | 2010-04-22 17:18 | 読書 | Comments(0)
2010年 04月 20日
待ち遠しい
岡崎武志さんのブログにみすず書房から出る『夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選』の書影が載っていた。今週中に出るということだ。それにしても、なんて素敵なタイトルなんだろう。なんかこう、いろんな想い出がつまっていそうなタイトルである。わけもなく涙が出そうだ。早く手にとってみたいなあ。
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by anglophile | 2010-04-20 01:26 | 読書 | Comments(0)
2010年 04月 18日
町田康『告白』   
ようやく仕事が一段落しそうである。読み始めた『ピストルズ』にここ数日手をつけていなかったことに気づく。近いうちに再開したいものだ。

ところで、今朝の朝日新聞の読書欄「ゼロ年代の50冊」に町田康の『告白』が取り上げられていた。刊行が二〇〇五年だから、もう五年たったのか。刊行当時、思っていることをうまく言葉にすることができない主人公熊太郎の姿に共感しながら、夢中になって読んだものだ。町田康を読んだのは実はそれが初めてで、まだその一冊しか読んでいないのに、勝手に「最高傑作」だと決めつけたりしていた。谷崎賞受賞の気配も感じていたが、本当に受賞したのでびっくりした。それからしばらくは町田康ばかり読んでいた気がする。

さて、朝日新聞だが、「著者の町田康さんから」で、町田の言葉が載っている。「熊太郎の最後の位置から書き始めなければ、と毎日、重苦しく思っているところです」と結んでいるが、今後の作品が楽しみである。(そういえば、一昨年刊行された『宿屋めぐり』は途中になったままだったっけ。)

『告白』は読売新聞に連載されていたのだが、そのときの挿絵がけっこう好かったということをどこかで読んだことがあるが、私は未見である。いつか見てみたいものだなあ。なにせ何年も前のことだから、切り取って保管されている人はどれくらいいるのだろうか。
ほらね。俺の意図がまったく伝わっていない。だから俺の思いと言葉と行動はいつもばらばらだ。思ったことが言葉にならぬから言葉でのやり取りの結果としての行動はそもそも企図したものではなく、思いからすればとんでもない脇道だし、或いは、言葉の代替物、口で言えぬ代わりに行動で示した場合、そもそもその言おうとしていること自体が二重三重に屈曲した内容なので、行動も他から見れば、鉄瓶の上に草履を置くとか、飯茶碗を両手に持って苦しげな踊りを踊るといった訳の分からぬこととなって、日本語を英語に翻訳したのをフランス語に翻訳したのをスワヒリ語に翻訳したのを京都弁に翻訳したみたいなことになって、ますます本来の思いからかけ離れていくのだ。(『告白』、一〇七頁)

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by anglophile | 2010-04-18 23:57 | 読書 | Comments(1)
2010年 04月 17日
土曜日の古本巡り   
今日は文圃閣や「ブ」など。

・川端康成 『花のワルツ』 (昭和一五年、新潮社)
・太宰治 『富嶽百景』 (昭和一八年、同上)
・山口瞳 『小説・吉野秀雄先生』 (文春文庫)
・深沢七郎 『みちのくの人形たち』 (中公文庫)
・フィリップ 『母への手紙』 (三好達治訳、岩波文庫)
・正宗白鳥 『作家論』 (同上)
・竹西寛子 『国語の時間』 (河出文庫)
・A・マンゾーニ 『いいなづけ 17世紀ミラーノの物語 上・中』 (同上)

上の二冊は昭和名作選集に入っているもの。『富嶽百景』には太宰自身の序が付されており、短文だが太宰らしくていいなあと思った。山口瞳の文庫は野呂邦暢が解説を書いている。たしか『血族』の解説も野呂ではなかったか。『いいなづけ』は上・下で買ったつもりだったのだが、中だったのか!ちなみに下巻はありませんでした。なんて中途半端なんだろう。
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by anglophile | 2010-04-17 15:14 | 古本 | Comments(0)
2010年 04月 17日
文学を志す人々へ   
先日買った庄野潤三の『子供の盗賊 自選随筆集』をパラパラやっていて、「文学を志す人々へ」のところで手が止まった。印象的な文章だったので、忘れないようにここに書きとめておこう。
 私は文筆生活に入るまでに十年間、職業についていた。始めの六年は学校に、あとの四年は放送会社に勤めていた。
 最初に文芸雑誌に作品が掲載されたのが二十四年の春で、それ以後にも発表の機会を与えられたことがあるから、十年のうちの半ば以上は小説を書くことを考えながら勤めていたわけであった。
 いま私の知っている人の中にも、会社勤めをしながら小説を書こうとしている人がいるが、その人たちがいちばん苦痛に思うのは、一日のうちの物を書くのに最もいい時間を会社に取られるということである。
 人間が物を考えたり書くのに最も適した状態になるのは、朝起きてから二時間後であるという説を私は何かで読んだことがある。人によって違いがあるだろうが、この二時間後というのは理に叶っているように思える。
 仮に私が会社勤めをしていて、朝七時半に起きるとする。通勤に一時間かかるところに住んでいるとするなら、会社に九時に着いて、煙草を一服して、そろそろこれから仕事にかかろうという時が丁度二時間後になる。うまくそういう風になっている。
 つまり、会社の方でも私に月給を払い、身分と生活を保障しているからには、私の頭が最もいいコンディションにあり、よく働く時間をむざむざ私の自由にするわけがない。当然その時間は会社の仕事をする八時間の中に入っていなければならない。
 決して会社は、その時間に私が家にいて、机の前に原稿用紙をひろげて、インク壺にペンを浸して沈思黙考することを許してはくれないのである。
 私はそれがいちばん辛いという人の気持が分らないのではない。熱心に働かないつもりでいても、会社というところは朝出て行って夕方帰ってくるだけでくたくたになるように出来ている。用事が多くても疲れるし、用事がなくても結構疲れるものなのだ。
 家に帰って来て、夕食を済してから小説を書こうとする人は、身体に残っている力を振い起さなくてはならない。或はひと眠りぐっすり眠っておいて、後から起きるという工夫をしなければいけない。
 世間の人たちが、ナイターのテレビを見終って、そろそろ寝床に入ろうという時に、むっくり起き出すのはいやなものであろう。何をそんなに苦労して文学文学ということがあろうかと思って、改めて本格的に寝直したくなるのはこんな時だ。
 私は、昼間役所に出勤した鴎外が、夜、仕事をしていて眠気を催すと、寝床に入らないで、将校マントをかぶったまま、机の上にうつ伏しになって仮眠し、目覚めると再びペンを取ったという話や、夜通し鴎外の書斎の明りが消えなかったという話を読んだ時、思わず溜息をついたものだ。
 「鴎外でさえ寝ないでやったというのに、普通の人間が世間の人と同じように眠ろうというのでは、とても見込はない」(中略)
 勤めながら創作をやろうというには、よほどの気魄が必要なのであろう。書かないでもともかく暮していけるのだし、何かの職業についていれば毎日毎日は結構気がまぎれて過ぎて行くものなのだ。
 しかし、私は会社勤めをしながら、文学をやろうとしている友人に言うことは一つしかない。ただ気力を振い起す以外に道はなく、それが辛ければ止めるより仕様がない。そういって励ますしかない。
 そうして、辛い時はパリの市役所に勤務しながら、夜、下宿でこつこつと小説を書いていたフィリップのことを思い、決して会社を止めてしまおうなどという無謀な考えを起してはならないと話す。『エリア随筆』を書いたチャールズ・ラムは、一生東印度商会の書記をして、五十歳の年に宿望かなって会社を辞め、恩給年金を貰って暮せる身分になった。しかし、『エリア随筆』の上巻に収められたエッセイ二十八篇は、勤めをしている間に書かれたもので、名作といわれる「夢の中の子供 幻想」を始め、「煙突掃除人の讃」にしても「焙豚論」にしても「私の初めての芝居」にしてもみなこちらの方に入っているのである。
 無論、フィリップにしてもラムにしても、生前ジャーナリズムにおいて名声をほしいままにした訳ではない。フィリップが腸チフスにかかって三十三歳で死んだ時は、まだ独身で役所の一吏員であったし、ラムが散歩の途中転んで顔に受けた怪我が原因で亡くなった時、姉と二人暮しの恩給生活者であった。だが、その残した仕事はこうして不朽のものとなってわれわれ後世に生れた者の眼を喜ばせてくれるのだ。(一九四~一九七頁)
こういう文章を読むと、気持がおちつき、少しだけ「がんばろうか」と思えるのがありがたい。
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by anglophile | 2010-04-17 09:51 | 読書 | Comments(2)
2010年 04月 10日
今月の文芸誌
阿部和重『ピストルズ』はやっと第二部まで読み終わった。毎日ちょっとずつなので、まだまだ時間がかかりそうだ。内容の方は、『シンセミア』などと同じように、緻密に構成されていて、うまいなあと思わされる。それぞれの出来事や登場人物たちが無理なく自然に関係しあっているところがすごいと思った。

そうこうしているうちに、今月の文芸誌には『ピストルズ』がらみの対談が二つ載っていた。『文学界』では斎藤環と、『群像』では蓮実重彦との対談が載っていて興味をそそられる。でもまだ読み終わっていないので、たぶんしばらくは読まないようにするだろうと思う。

一方で、『新潮』の方は確実に買うことになるだろう。阿部和重関連の記事はなさそうだが、ピンチョン特集をやっているではないか!おまけになにやら町田康の朗読CDみたいなのが付いているようだ。個人的には豪華すぎて、買う前からおなかがいっぱいです。
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by anglophile | 2010-04-10 09:56 | 読書 | Comments(0)