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2009年 11月 29日
本日の収穫   
今日も古本漁りに出かける。道すがら思ったのは、私にとっての「古本屋巡り」は一種のストレス発散でもあるということ。先週は仕事が忙しく、特に昨日の土曜日も一日ずっと出勤で、ストレスの多い一日だった。やはり私には「古本」が必要である。

金沢文圃閣が開いていればと思って向かったが、「準備中」の札が。今日は休みなのか。気落ちして、100円ショップに向かう。あれやこれや買うことができた。

・伊丹十三 『ヨーロッパ退屈日記』 (文春文庫)
・古山高麗雄 『兵隊蟻が歩いた』 (同上)
・『Sudden Fiction 超短編小説70』 (村上春樹・小川高義訳、同上)
・『Sudden Fiction 2 超短編小説・世界篇』 (柴田元幸訳、同上)
・小島政二郎 『食いしん坊1』 (朝日文庫)
・幸田露伴 『辻浄瑠璃・寝耳鉄砲』 (岩波文庫)
・中沢けい 『海を感じる時・水平線上にて』 (講談社文芸文庫)
・ロートレアモン伯爵 『マルドロールの歌』 (前川嘉男訳、集英社文庫)
・オルダス・ハクスリー 『知覚の扉』 (平凡社ライブラリー)
・駒田信二編 『老年文学傑作選』 (ちくまライブラリー)

『Sudden Fiction』の訳者はおなじみの顔ぶれだが、その一人小川高義はジュンパ・ラヒリも訳している。『老年文学傑作選』には、木山捷平、尾崎一雄、藤枝静男、耕治人、野口冨士男らの短篇が収められており、なかなか魅力的な短篇アンソロジーである。

さて、帰り道。もう一度文圃閣に挑戦する。そうしたら、開いていた、開いていた!いい本が買えました。

・庄野潤三 『ガンビア滞在記』 (中公文庫)
・石川淳 『対談集 夷齋座談(上)(下)』 (同上)
・虫明亜呂無 『虫明亜呂無の本・1 肉体への憎しみ』 (筑摩書房)
・虫明亜呂無 『虫明亜呂無の本・3 時さえ忘れて』 (同上)

『ガンビア滞在記』はもちろん一〇〇円ではないが、それがあるとは思っていなかったのでとてもうれしい。以前「古本ソムリエの日記」にも紹介されていて、チェックしておいてよかった。木枠でできた窓を写した表紙の写真が非常に爽やかである。

虫明本は鉛筆の線引きがあったのでどちらも一〇〇円だった。そういえば、先週の毎日新聞で堀江敏幸が『女の足指と電話機―回想の女優たち』(清流出版)を紹介していた。今回拾った二冊はスポーツ小説集とスポーツ評論集。『肉体への憎しみ』の最初に収められている、巨人の伝説の投手沢村栄治を描いた「風よりつらき」という短篇が印象に残った。
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最近はブックオフばかりだったが、文圃閣のような古本屋もやっぱりいいなあと思った一日だった。

◆『2666』読破メーター:735頁
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by anglophile | 2009-11-29 20:51 | 古本 | Comments(0)
2009年 11月 23日
今夜のヤフオク
むかしむかしの日曜夕方に放送されていたアニメ『おじゃまんが山田くん』のワンシーンを思い出す。名前は忘れたが、脇役に三人の貧乏学生がいて、ある日、彼らはマツタケを一本手に入れるのだが、三人でその一本を分けて食べても何の腹の足しにもならない。それでは、ということで、そのマツタケを天井から糸で吊し、自分たちはそのマツタケの良い香りを嗅ぎながら、ご飯だけを炊いて何杯も食べるというシーンだった。

今晩のヤフオクには、この貧乏学生三人組にとってのマツタケ以上に相当する注目の商品が出品されていた。もちろん私は見物人にすぎないが、掲載されているカラー写真を見ているだけで、涎が垂れる。さながら貧乏学生の一人といったところ。

・ジョイス 『室樂』 (左川ちか訳、椎の木社、一九三二年)
・渡邊修三 『ペリカン嶋』 (ボン書店、一九三三年)

さきほど取引が終わったようだが、どちらも九万円近くまで行っていた。特に、後者の状態は非常に良さそうで、写真を見れただけでも眼福の至りだった。こういう稀本と一生縁のなさそうな私は、その香りのみを嗅ぎながら、クジラのしっぽを追いかけることにしよう。
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by anglophile | 2009-11-23 22:45 | 古本 | Comments(0)
2009年 11月 23日
ブックオフ四軒はしごの巻
一昨日、昨日と少し熱があり家でじっとしていた。せっかくの三連休なのに、自宅療養を強いられて終わるのもシャクである。連休最終日の今日は少しやる気のあるところを見せておきたい。(誰に?)熱も収まり、幾分か体調も回復したので、午後から外出する。まだ、クジラたちは近くを遊弋しているだろうか?

<二冊四〇〇円>
・河上徹太郎 『吉田松陰 武と儒による人間像』 (講談社文芸文庫)
・河井寛次郎 『火の誓い』 (同上)
・林京子 『長い時間をかけた人間の経験』 (同上)
・梅崎春生 『桜島/日の果て/幻化』 (同上)
・森茉莉 『薔薇くい姫/枯葉の寝床』 (同上)
・森茉莉 『記憶の部屋』 (ちくま文庫)
・森茉莉 『マリアの気紛れ書き』 (同上)
・森茉莉 『甘い蜜の部屋』 (同上)
・久世光彦 『美の死 ぼくの感傷的読書』 (同上)
・川本三郎 『フィールド・オブ・イノセンス アメリカ文学の風景』 (河出文庫)
・戸板康二 『小説・江戸歌舞伎秘話』 (扶桑社文庫)
・中島敦 『中国小説集』 (ランダムハウス講談社文庫)

<一〇五円棚より>
・江國滋 『遊び本位』 (旺文社文庫)
・井伏鱒二 『珍品堂主人』 (中公文庫)
・室生犀星 『或る少女の死まで 他二編』 (岩波文庫)

<雑誌半額棚より>
・『WAVE23 シェーンベルクのヴィーン』 (ペヨトル工房)

今日は森茉莉がまとまって置いてあった。草臥れた新潮文庫版はよく見かけるが、ちくま文庫版はあまり見ないので迷わず購入。そして特筆すべきは、三冊目の梅崎春生である。躊躇せず拾う私も私だが、こんな短期間に何度も出現する梅崎も梅崎である。もし次行ったときにに四冊目があったらどうしようか、考えてしまった。

◆『2666』読破メーター:681頁
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by anglophile | 2009-11-23 19:25 | 古本 | Comments(0)
2009年 11月 22日
「J.B.レノアの死」   
ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズに The Death of J.B.Lenoir という名曲がある。敬愛していたJ.B.レノアを亡くした悲しみを歌った曲である。

A car has killed a friend
In Chicago thousand miles away
A car has killed a friend
In Chicago thousand miles away
When I read the news
Night came early in my day

J.B.Lenoir is dead
And it's hit me like a hammer blow
J.B.Lenoir is dead
And it's hit me like a hammer blow
I cry inside my heart
That the world can hear my man no more

J.B. had a struggle playing
Unappreciated blues in vain
J.B. had a struggle playing
Unappreciated blues in vain
Now the blues has lost a king
And I've lost a friend who died in pain

一台の車が俺の友人を轢き殺した
千キロ離れたシカゴで
一台の車が俺の友人を轢き殺した
千キロ離れたシカゴで
その記事を読んだとき
昼間なのに一気に辺りが真っ暗になった

J.B.レノアが死んだ 
ハンマーで頭を殴られたような衝撃だ
J.B.レノアが死んだ 
ハンマーで頭を殴られたような衝撃だ
俺は心のなかで泣く
世界がこの男の声を聞くことはもうないのだと

J.B.は苦悩していた
自分の弾くブルースが誰からも認めてもらえないことを
J.B.は苦悩していた
自分の弾くブルースが誰からも認めてもらえないことを
今やブルースの世界はその王をひとり失い 
俺は苦しみのうちに死んだひとりの友を失った
この無駄のない簡潔な歌詞がいい。で、これを突然思い出したのは、日々愛読しているTsubuteさんのブログ『読書で日暮らし』の「野呂邦暢急逝と向田邦子」を読み、じいーんと来たからだった。この二人の作家のそれぞれの運命について何かを述べようとしても簡単には言葉が見つからない。言葉を探しているうちに脳裡に浮上してきたのが、上に引用したメイオールの歌詞だった。Tsubuteさんが引用されている向田邦子の言葉とどこか通じるところがあると思うのは私だけだろうか?



ちなみに、豊田健次さんの『それぞれの芥川賞直木賞』(文春新書)はたしか持っていたはずなのであとで読んでみることにしよう。

◆『2666』読破メーター:647頁
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by anglophile | 2009-11-22 15:35 | 音楽 | Comments(2)
2009年 11月 19日
『庭を造る人』   
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室生犀星『庭を造る人』(改造社、一九二七年、装幀:岸田劉生)をヤフオクで落札。一六〇〇円也。ご覧のように状態は良くない。検印紙は剥ぎ取られており、函は背が丸ごと、そして底が一部欠損している。人によってはこれでも高いのかもしれないが、今の私にはこの函表紙の絵や文字をこの値段でずっと眺めていることができるということだけでもう十分である。

こちらは見返し。暖かみのある色遣いがすばらしい。この素朴な感じがたまらない。クレープ生地のようなシミまで絵の一部になっている、と言ったら大げさか。
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前にも書いたように、ウェッジ文庫版を買おうかと思っていたところに、これが綺羅星のごとく現れたのである。値段や状態を考えても、普通ならウェッジ文庫なのだろうけど、先日のスタンプラリーで訪れた犀星記念館で見た元版の分厚い感じが忘れられなかった。
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この重厚感、やはりわるくない。背の「室生犀/星著」にも妙を感じる。宝物がまたひとつふえた。
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by anglophile | 2009-11-19 19:10 | 古本 | Comments(0)
2009年 11月 19日
『2666』の冒頭を訳してみる
私は洋書の購入をほとんど「アマゾン」に頼っている。ここ何年かの間に「クリックなか見!検索」機能が充実し、内容の一部(目次や冒頭の数頁)を読める書籍が増えてきたのは実にありがたいことである。現在読破中の『2666』もこの機能があったからこそ購入することにしたのだった。冒頭の数頁を読み、たちまちそこに引き込まれてしまった。これはぜったいに読まねばなるまいと思ったのは、それが本好きにはたまらない書き出しで始まっていたからである。以下、長々と引用してみよう。
The first time that Jean-Claude Pelletier read Benno von Archimboldi was Christmas 1980, in Paris, when he was nineteen years old and studying German literature. The book in question was D'Arsonval. The young Pelletier didn't realize at the time that the novel was part of trilogy (made up of the English-themed The Garden and the Polish-themed The Leather Mask, together with the clearly French-themed D'Arsonval), but this ignorance or lapse or bibliographical lacuna, attributable only to his extreme youth, did nothing to diminish the wonder and admiration that the novel stirred in him.

From that day on (or from the early morning hours when he concluded his maiden reading) he became an enthusiastic Archimboldian and set out on a quest to find more works by the author. This was no easy task. Getting hold of books by Benno von Archimboldi in the 1980s, even in Paris, was an effort not lacking in all kinds of difficulties. Almost no reference to Archimboldi could be found in the university's German department. Pelletier's professors had never heard of him. One said he thought he recognized the name. Ten minutes later, to Pelletier's outrage (and horror), he realized that the person his professor had in mind was the Italian painter, regarding whom he soon revealed himself to equally ignorant.

Pelletier wrote to the Hamburg publishing house that had published D'Arsonval and received no response. He also scoured the few German bookstores he could find in Paris. The name Archimboldi appeared in a dictionary of German literature and in a Belgian magazine devoted --- whether as a joke or seriously, he never knew --- to the literature of Prussia. In 1981, he made a trip to Bavaria with three friends from the German department, and there, in a little bookstore in Munich, on Voralmstrasse, he found two other books: the slim volume titled Mitzi's Treasure, less than one hundred pages long, and the aforementioned English novel, The Garden.

Reading these two novels only reinforced the opinion he'd already formed of Archimboldi. In 1983, at the age of twenty-two, he undertook the task of translating D'Arsonval. No one asked him to do it. At the time, there was no French publishing house interested in publishing the German author with the funny name. Essentially, Pelletier set out to translate the book because he liked it, and because he enjoyed the work, although it also occurred to him that he could submit translation, prefaced with a study of the Archimboldi oeuvre, as his thesis, and --- why not? --- as the foundation of his future dissertation.

He completed the final draft of the translation in 1984, and a Paris publishing house, after some inconclusive and contradictory readings, accepted it and published Archimboldi. Though the novel seemed destined from the start not to sell more than a thousand copies, the first printing of three thousand was exhausted after a couple of contradictory, positive, even effusive reviews, opening the door for the second, third, and fourth printings.

By then Pelletier had read fifteen books by the German writer, translated two others, and was regarded almost universally as the preeminent authority on Benno von Archimboldi across the length and breadth of France.
次に試訳をば。
ジャン・クロード・ペルティエがはじめてベノ・フォン・アルキンボウルディを読んだのは一九八〇年のクリスマス、パリにおいてだった。当時、彼は一九歳でドイツ文学を学んでいた。読んだ本というのは、フランスを題材にした『ダルソンバール』という小説で、これが三部作のうちの一冊(あとの二冊は、英国を題材にした『庭園』とポーランドを題材にした『革の仮面』)であることを若きペルティエは知るよしもなかった。作者とその著作に関してほとんど知識がなかったとはいえ、そのことによって彼がこの一冊の小説に対して感じた驚きと賛嘆を失うことは少しもなかった。

その日以降(すなわち、記念すべき第一冊目を読み終えたあの日の朝以降)、彼はアルキンボウルディの熱狂的読者となり、他の著作を蒐集する旅の第一歩を踏み出したのだった。しかし蒐集は困難をきわめた。一九八〇年代において、ベノ・フォン・アルキンボウルディの著作を手に入れる手がかりは、パリにおいてでさえ皆無であった。彼が通う大学のドイツ語学部にもアルキンボルディに関係する資料はほとんど見つからなかった。ペルティエの知る教授たちも誰一人としてその名前を聞いたことがなかった。あるとき、そのうちの一人がその名前に聞き覚えがあると言ったが、しばらくしてから、知っていると思っていた人物が実はイタリア人の画家であり、しかもその教授は結局その画家についてすらほとんど何も知らないことが分かり、彼はそのいい加減さに怒り(と恐怖)をおぼえたのだった。

そこでペルティエは『ダルソンバール』を出版したハンブルグの出版社に手紙を書いてみた。しかし返事はなかった。次に、パリにあるドイツ語専門の書店をいくつかまわってみたが、アルキンボウルディという人名は、ドイツ文学事典ともう一冊、冗談なのか本当なのかは分からなかったが、ベルギーで出版されたプロシア文学専門の文芸雑誌に出ていたにすぎなかった。一九八一年、彼は学部の友人三人とともにドイツのバイエルンを訪れる。そしてミュンヘンのヴォラルム通りにあった小さな書店で二冊の書物を見つけた。一冊は『ミッツィの宝物』という一〇〇頁に満たない薄い本で、もう一冊は先に挙げた英国を題材にした『庭園』という小説だった。

ペルティエはこの二冊を読み、アルキンボウルディ作品の素晴らしさを再認識する。一九八三年、二十二歳の時、彼は『ダルソンバール』の翻訳に着手した。誰かに依頼されたというわけではなかった。当時のフランスに、風変わりな名前を持ったドイツ人作家の本を出版しようと思う奇特な出版社があったはずはなかった。その翻訳は、基本的に彼の純粋な情熱に端を発したものであり、彼はその作業が楽しくてしかたがなかった。一方でまた、翻訳したものをアルキンボウルディ作品の研究とあわせて論文に仕上げ、いずれは博士論文への足がかりにできればという思いもあった。

一九八四年に彼は翻訳の最終稿を仕上げた。あるパリの出版社が、要領を得ない矛盾だらけの審査の後、最終的に原稿を受け取ってくれ、アルキンボウルディの小説のフランス語翻訳版が世に出ることになった。その翻訳小説は売れてもせいぜい千部ほどだろうと当初から考えられていたが、二、三の好意的な、あふれんばかりの賛辞さえ含んだ書評のおかげで初版三千部が完売し、結局は第四刷まで刷られることになった。

この頃までには、ペルティエはこのドイツ人作家の著作を一五冊読み、さらに二冊を翻訳し、その結果フランスにおけるベノ・フォン・アルキンボウルディ研究の第一人者としての地位をほぼ不動のものにしていた。
謎の作家アルキンボウルディの著作を探し求める青年ペルティエの姿と、古本屋の棚に目を走らせる自分の姿とが次第に重なっていく。両者の間にいかほどの違いもありはしないだろう。古本に魅了された人の多くも同じ姿を彼に見出すはずである。

◆牛歩的『2666』読破メーター:562頁
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by anglophile | 2009-11-19 02:10 | 読書 | Comments(0)
2009年 11月 16日
古本屋小説あれこれ   
今日は外出したついでに、いつものブックオフになんとなく寄ってみた。最近は毎週末「二冊四〇〇円セール」をやっているので気が抜けない。一方で、ある程度期間を空けた方がいいとは思うものの、ついつい足がそちらの方向に向いてしまう。幸運なことに、今日もクジラのしっぽを発見できた。

<講談社文芸文庫>
・梅崎春生 『桜島/日の果て/幻花』
・荒井献[編] 『使徒教父文書』
・関根正雄[編] 『旧約聖書外典 上・下』

<一〇五円棚>
・紀田順一郎 『古書収集十番勝負』 (創元推理文庫)

梅崎春生は先月も拾ったが、拾っていない振りをしてカゴに入れる(笑)。また、めずらしく聖書関係が三冊も!学術系とはいえ、聖書も立派なひとつの「短編集」といえるだろう。『古書収集十番勝負』は古本屋小説。そのうち読むかもしれないので買っておく。

さて、古本屋が出てくる小説で思い出したが、ずっと前に尾形界而 『古書無月譚』(東京堂出版)というのを読んだ。立原道造の『萱草に寄す』をめぐる古本屋たちの人間模様が描かれているのだが、非常に面白かった。出版は一九九二年だが、話題になった本なのだろうか。あれだけ面白い内容なのだから、文庫になってもよさそうなものだが。

あと、私が読んだ古本屋小説に、野呂邦暢の『愛についてのデッサン』がある。この小説のことは、山本善行さんの『関西赤貧本道』で知った。ある日、本屋でみすず書房の「大人の本棚」シリーズの一冊として復刊されているのを見て、早速買って読んでみた。で、これが無類の面白さなのだ。山本さん曰く、「(この本が)古本屋に出ないのは、読んだあと、だれも手放したがらないからだろう。」いや、まったくそのとおりだ!と思った次第。

愛についてのデッサン―佐古啓介の旅 (大人の本棚)

野呂 邦暢 / みすず書房



◆『2666』読破メーター:537頁
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by anglophile | 2009-11-16 01:15 | 古本 | Comments(0)
2009年 11月 13日
この一週間で買った本   
十一月八日(日)はあちこちまわる。

<ブックオフ[二冊四〇〇円&一〇五円単行本]>
・津島佑子 『光の領分』 (講談社文芸文庫)
・庄野潤三 『夕べの雲』 (同上)
・室井光広 『おどるでく』 (講談社)

<某リサイクルショップ[一〇〇円]>
・吉行淳之介選 『蓮池 掌編コンクール傑作集2』 (角川文庫)
・文藝春秋編 『孤高の鬼たち 素顔の作家』 (文春文庫)
・幸田文 『動物のぞき』 (新潮文庫)
・石川達三 『転落の詩集・智慧の青草』 (同上)
・中村明 『現代名文案内』 (ちくま文庫)
・川瀬一馬 『随筆 柚の木』 (中公文庫)

『おどるでく』は一九九四年前期の芥川賞受賞作である。私が拾ったのは第二版(七月二五日発行)だが、初版(七月二〇日発行)にはそれなりの古書価がついている。というか、この本自体あまり見かけないように思う。きれいな帯も中に挟まっていたのでうれしかった。著者の室井氏は現在、東海大学の准教授を務めているとウィキにあった。ちなみに、この人は芥川賞受賞以前、ボルヘス論で群像新人賞も獲っている。

さて、日が改まり、本日は小松市に出張があったので、普段はなかなか行けない小松のブックオフに寄ってきた。あまり時間がなかったので、一〇五円棚をスキャニングする。

・石牟礼道子 『天の魚 続・苦海浄土』 (講談社文庫)
・町田康 『テースト・オブ・苦虫1』 (中公文庫)
・ジュンパ・ラヒリ 『その名にちなんで』 (新潮文庫)
・江戸川乱歩 『江戸川乱歩全集 第11巻 緑衣の鬼』 (光文社文庫)

町田康は、傑作長編『告白』を読んで以来、私のお気に入りの現代作家である。『テースト・オブ・苦虫』シリーズは先月第七集が出たばかり。文庫版は第三集まで出ている。ブックオフの一〇五円棚で拾える日を待ちわびていたが、ついにこの日がやってきた!

ジュンパ・ラヒリの『その名にちなんで』は彼女の第二作目にあたる長編小説。私はあまり外国の小説の翻訳本は買わないのだが、これが一〇五円棚にあるのを見るのは初めてだったのでとりあえず拾った。彼女の処女作『停電の夜に』は、今や全国のブックオフに必ず一冊以上は置かれているほどのベストセラーであった(笑)。ちなみに、私はこの第二作をスキップして、夏休みに第三作Unaccustomed Earth(邦題『見知らぬ場所』)を読んだばかり。すばらしい短編集だった。今後も楽しみな作家の一人である。

今日はさらに夕方にもう一軒。某一〇〇円ショップにて。

・野見山暁治 『四百字のデッサン』 (河出文庫)
・田辺聖子・選 『ロマンチックはお好き?』 (集英社文庫)
・久世光彦 『一九三四年冬-乱歩』 (新潮文庫)
・江國滋 『男性作法』 (旺文社文庫)
・フェルディナン・ソシュール 『一般言語学講義』 (岩波書店)

最後の一冊は、たまにこういうのもいいのではないかと。それにしても、部屋の中が...

◆『2666』読破メーター:495頁
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by anglophile | 2009-11-13 21:49 | 古本 | Comments(2)
2009年 11月 11日
『2666』進捗状況
現在読破中のロベルト・ボラーニョ『2666』がやっと半分を超えた。とはいえ、残りはまだ450頁あるわけだが。数頁しか読めない日もあったりで、遅読もいいところ。日々の雑文の最後に、わざわざ「読破メーター」なるものをつけ始めたのは、自分で自分を鼓舞するためである。今年中に読了できれば御の字といったところだろうか。

さて、数日前に5つあるパートのうちのパート4に取りかかった。このパートの副題はThe Part about the Crimes(「犯罪事件に関する話」)となっており、そのことからも分かるように、パート4では冒頭からメキシコのサンタテレサという町で次々に起こる女性を狙った殺人事件について新聞記事風に描写されていく。と同時に、合間合間に事件の捜査に関わる刑事や警官らの日常生活が描かれる。ここまで100頁ほど読み進んだが、被害者の女性も含めあまりにも多くの人物が出てくるので、「人物相関図」を作り始めることにした。むかし、ピンチョンの『V.』を読んだときも同じものを作ったことを思い出す。
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B5のコピー用紙にチマチマと書き始めたが、すぐにいっぱいになってしまった。このパートはまだ200頁ほど残っているのだが、はたして何枚必要になることやら。ちなみに、この作業のおかげか知らないが、スペイン語の名前(アルファベットの綴り)にはかなり詳しくなりました(笑)。

◆『2666』読破メーター:463頁
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by anglophile | 2009-11-11 19:31 | 読書 | Comments(0)
2009年 11月 09日
宮本浩次と古本
今朝の「めざましテレビ」がエレファントカシマシを特集していた。こんな朝にエレカシが出るとは!と思ったが、新曲か何かのPRだった模様。エレカシといえば、昨年ユーミンの「翳りゆく部屋」をカバーしており、個人的にはなかなかシブい選曲に思わず唸った。迷わずitunesで購入した。私が彼らの音楽に興味を持ち始めたのは、一九九六年の傑作アルバム『ココロに花を』からである。今でもカラオケでたまに歌うことがある(笑)。

エレカシのヴォーカルをつとめるのが宮本浩次である。浩次は「ひろじ」と読む。この人は身振り手振りがオーバーアクションで、テレビに写るとなかなかインパクトがある。また文学好きとしても有名で、むかしあるラジオ番組で、「神保町だったかの古本屋で泉鏡花の全集を買って、それを自転車の荷台にくくりつけてやっと家まで帰ってきました」というようなことを話していて、ああこの人もそういう世界が好きなんだ、と親近感を持ったことがあった。

さて、「めざましテレビ」では、ライブの舞台裏やレコーディングの模様が紹介されていた一方で、宮本の文学好きについても触れられていた。「今読んでいる本は?」に、宮本は一冊の古い文庫を出して話をしていた。タイトルがチラッと見えたのだが、それは岩波文庫『ゲーテ伝』(ハイネマン)だった。今度はゲーテですか、とまたしても唸ってしまった。

宮本はエッセイ集も出していて、私は『明日に向かって歩け!』(集英社、二〇〇二年)というのを一冊持っている。たしかずっと前にブックオフで買ったはず。宮本が文学をこよなく愛していることを知らなければまず買わなかっただろうと思う。このエッセイ集は『週刊プレイボーイ』に連載されていたようで、宮本の日々の様々な思いが綴られている。ところどころに文学の話や古本屋に寄ったという話が出てくり、興味をそそられる。

 俺はいわゆる本好きだ。本好きなどと公言するからには、相当の読書家だろうとあなたは想像するかもしれない。しかし、俺の場合、白状するが読書することよりもむしろ“本そのもの”が好きなのである。本そのものが発している“文化のかおり”というか“知識のかおり”というべきか、とにかく本が持っている、そういった佇まいが好きなのである。
 新刊本のページを繰るときに発せられる真新しい紙と印刷のにおい、また古本から発せられるどこかカビくさい、同時に重々しい雰囲気。俺は読書家ではない。“愛書家”というべきものなのである。
 本好きが高じて、俺の部屋には、今、優に五千冊は下らないと思われる本が、あるものは棚に収まり、また収まりきらない分は床の上に積み上げられてい置いてある。恥ずかしながらこれらの本、殆どは目を通していないのである。いつか読もう、いつか勉強しようと思ってポツポツ買っていた本が、少しずつ積み上がっていって、本の山となったわけだ。本好き、まぁとりもなおさず知識への憧れだけは強いんだ、俺は。(一〇二頁)
「五千冊」というのだから、まちがいなく筋金入りである。

ところで、この本、アマゾンで検索してみると、とんでもない値段がついている。ホントだろうか。6件とも1万円を超す値が付けられている。半信半疑も、買っておいて良かったと内心思ったのは内緒です。
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by anglophile | 2009-11-09 21:13 | 音楽 | Comments(0)