2012年 06月 09日
21世紀の世界文学30冊を読む/英米小説最前線
最近は古本のプロポーションがやや減少気味だが、一方で先月後半から今月後半にかけて、個人的に注目している新刊、再刊、復刊が目白押しで、本屋に行くことばかり考える生活が続いている。それもまたよろし。

新刊で買ったうちの1冊が、都甲幸治『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)である。著者はアメリカ文学研究者で、柴田元幸氏の弟子筋にあたる人。『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』などを訳したり(共訳)している。都甲氏がどんな感じの人なのかあまりよく知らなかったのだが、YouTubeに上げられていたジュンク堂池袋店で今年初めに行われた作家のいしいしんじ氏とのトークセッション「越境する作家たち」をしばらく前に見て、なんか人の良さそうなお兄ちゃんといったような感じの人だったので好感を持ったのだった。ちなみに、このセッションはものすごく面白いです!

c0213681_2235254.jpg

さて、都甲氏の本は2008~2011年に『新潮』に連載されていた「生き延びるためのアメリカ文学」がもとになっている。この連載は「世界同時文学を読む」と名前を変えて現在も続いている。内容は、21世紀になってから出版された未邦訳の海外作品を紹介するというもの。書名にあるとおり、全部で28作家30冊の小説が取り上げられている。知らない作家が半分ぐらいいるので今後の指針の1つとして役立てたいと思う。基本的に英語で書かれた作品が挙げられているのだけれど、あえて「世界文学」と謳っているのは、アメリカなどの英語圏に移り住んでやがて英語で書くようになった他国生まれの「移民作家」が含まれるからだろう。唯一英語で書いていない作家としてロベルト・ボラーニョが入っていて、Nazi Literature in the Americas が紹介されている。ほんとのことを言うと、この本を買おうか迷ったのだけれど、ボラーニョのことが書かれていたので購入を決めた次第。
 今アメリカ合衆国で最も話題の作家と言えばもちろん、ロベルト・ボラーニョである。そんなのおかしいではないか、とあなたは思うかもしれない。チリで生まれ、メキシコで育ち、スペインで没したボラーニョ、しかもスペイン語で書かれた作品しかない彼が、なぜそれほどまでに合衆国で読まれているのか。しかも二〇〇三年には既に亡くなっているのに、と。答えは単純である。どの作品もずば抜けて面白いからだ。ボラーニョの作品を読めば、我々が今まで中南米文学に対して抱いていたイメージは粉々に砕けてしまうだろう。ボルヘスなど中南米文学の最良の部分をきちんと消化したうえで、これほど現代的な作品を書いている作家がいたのか。当たり前である。あのラテンアメリカ文学のブーム以来、僕らは何十年ものあいだ中南米の偉大な作家のリストを書き換えずに来た。そのせいで刺激的な文学との出会いをどれほど逃してきたことだろう。(141頁)
私も全部把握していないのだが、ボラーニョが亡くなったあと、遺品の中から大量の未発表原稿が出てきたらしく、それらが少しずつ日の目を見るようになって、それにあわせて英訳のほうも順次出版されている。日本ではボラーニョはまだ2冊しか訳されていないが、これからどんどん訳されていくことだろう。この Nazi Literature in the Americas は題名が恐そうなのでまだ買っていなかったが、都甲氏の紹介文を読んでぜひ読んでみたくなった。

各文芸誌の最新号が今週発売されているが、『新潮』7月号には都甲氏の本が発売されたのに合わせて柴田元幸氏との対談「世界文学はアメリカ文学である」が載っている。師弟対談ということで面白く読んだ。実は、未邦訳の海外作品を紹介するという連載は師匠の柴田氏も2007年から『ENGLISH JOURNAL』という語学月刊誌でやっている。連載のタイトルは「英米文学最前線」となっていて、「世界の最先端をいく小説の一節と、柴田先生のみごとな翻訳、そして書評と、1粒で3つの味が楽しめ」るようになっている。膨大な量の英米作品に接しているはずの柴田氏の読書生活の一端がうかがえてとても興味深い。「こんなの、読んでるんだ!」と、その読書の幅の広さにも毎回驚かされている。

で、最新7月号(表紙はメリル・ストリープ)を何気なくチェックしてみたら、「おおっ!」と思わず興奮の声をあげてしまった。なんとボラーニョの 2666 が取り上げられているではないか! なんか、あっちとこっちが結びついていたのでびっくりしてしまった。
 この人の小説を読んでいると、他人の悪い夢にまぎれ込んだらこんな感じだろうなあ、と思うことがよくある。夜更けに知らない町の怪しげな区域に行って、どこか邪悪な人間に出会い、夜が明けたときには何かが確実に損なわれている---そんな展開がくり返し現れる。
 しかも、ありていに言って、最後まで読んでも、「結局、何の話かよくわからなかった」と思うことが多い。にもかかわらず、読まされてしまう。それも、短篇のみならず長篇でも「何の話かよくわからない」ことが多い。
 遺作となった、5部構成、898ページに及ぶ大作『2666』も、一番長い第4部(281ページ)で、メキシコの町に住む女性が次々に殺害されていく話など、まさに先の見えない他人の悪夢から抜け出せなくなったような思いに囚われながら読者は読み進める。
 (中略)プロットにとっては周縁的と思える無数の逸話、脱線すべてが、中心以上の存在感をもって自己を主張している。「何の話かよくわからない」ことの強みが、今回はいつも以上に生きている。そもそも書名の『2666』は何を意味するのか? 今後数十年、このタイトルの寓意をめぐって議論が戦わされることだろう。
もうこれ以上の的確な説明は考えられないと思う。正直なところ、2666 がどんな小説なのかと問われると、答えに窮してしまうのだが、「まあ、読んでごらん、面白いから」としか言えない。ところが、柴田氏はそれでいいんだと言ってくれているよう。やっと心の中のモヤモヤが晴れたような感じがする。

c0213681_2354939.jpg

[PR]

by anglophile | 2012-06-09 23:38 | 読書 | Comments(0)


<< サッカーとか古本とか冷泉家とか      富来へ >>