2012年 02月 12日
平石貴樹『アメリカ文学史』
昨日と今日は仕事でどこにも行けず仕舞い。どこかで補填してやらないと、心が噴火しそうだ。

ブックオフには細々とだが寄っている。今週は平日に一度だけだったが。

・茨木のり子 『歳月』 (花神社)
・向井敏 『開高健 青春の闇』 (文藝春秋)

合計210円。

読書も細々と続けている。図書館から借りている平石貴樹『アメリカ文学史』もやっと読了した。充実の読書だった。まだ2月ながら、今年の私的ベストテン確定の一冊。大学時代には文学史なんてまじめに読んだことはなかったし、そもそも文学史なんてあんまり通読すべきものではないのかもしれないが、本書は昨年、佐藤良明さんの「サトチョンの翻訳日記」阿部公彦さんの「書評空間」で取り上げられていて、それ以来ずっと気になっていた本だった。お二人とも東大の先生(佐藤さんはすでに退官されているが)だから、著者の平石さんのことはよくご存じのはず。佐藤さんなどは「本年最高の読書」とまで絶賛されている。また、佐藤さんの記事には阿部さんの書評への言及もあり興味深い。もしかしたら最も興味深いのは、アメリカ文学史なのにアメリカだけにとどまらず、最終章の最終節が「村上春樹とアメリカ文学」と題されていることかもしれない。私自身はまだすべて消化しきれていないが、このことにはなかなか深い意味があるようだ。

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文学史は一種の読書案内にもなりうる。例えば、昔読んだけどピンとこなかった作家の作品を再読する機会を与えてくれるはず。個人的には、ホーソーンのことが喉に刺さった魚のホネのようにずっと気になっている。主要長編は4つとも読んだが、「面白い」と思ったのは『ブライズデール・ロマンス』だけだった。肝心の『緋文字』はほとんど苦行だったことは今でも忘れない。こんなもの、どこが面白いんだ、と。でも、著者の次のような言葉を読んで、やっぱりそのうち再読せねばと思う。
『緋文字』を現代人が予備知識なしに読むと、物語の展開は短調でくどく、会話は古い芝居のように不自然で、神がかった偶然や不思議な事件が続発するので、古めかしく、読みづらく感じるに違いない。それでも、近代小説--ノヴェルであれ、ロマンスであれ--のもっとも重要な特質である、人物の自由とそれゆえの苦悩を、この作品にみなぎらせるべく奮闘する作者の姿に、打たれない読者はいないだろう。(130-1頁)
また、何度か挑戦するが挫折ばかりしている作家の作品にもあらためて興味を持たせてもらった。私の場合は、トニ・モリスンとフォークナー。モリスンは、本書を読んで相当に重要な作家であることがわかった。ノーベル賞もらって当然なのだ。失礼だが、モリスンなんて、もう一生縁はないだろうと思っていたけど、そういうわけにもいかなくなってきた。フォークナーに関しては、しょせんヘナチョコ級の英文解釈能力しかないのに原書で読もうとするからいけないことがよく分かった。著者はフォークナーの専門家でもあるから、フォークナーを論じた章はとても刺激的である。それを読んだら、無性にフォークナーが読みたくなってきた。ということで、このあとは『アブサロム、アブサロム!』を素直に翻訳で読むこととする。講談社文芸文庫と岩波文庫があるが、未所持なのでこちらの世界文学全集版(集英社)の篠田一士訳で読むことにしよう。(ちなみに、池澤夏樹版世界文学全集は篠田訳を採用している。)最後まで読めるかどうか心配だけど、おそらく通読のチャンスは今回の一回のみだろう。

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最後に、以前ここで話題にしたウィリアム・ギャディスについては特に言及がなかった。個人的には、ギャディスが現代アメリカ文学においてどのような位置を占めているのか知りたかったのだが。本流からは外れているということなのだろうか。

もう1つ読書ネタで、ホーソーンやメルヴィルの訳者である八木敏雄さんの『マニエリスムのアメリカ』(南雲堂)という本がやはり昨年出ているらしい。こちらもちょっと気になるが、まだ図書館には入っていないようだった。
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by anglophile | 2012-02-12 23:56 | 読書 | Comments(0)


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