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古本万歩計 Of what is lost, all I wish to recover is the daily availability of my writing, lines capable of grasping me by the hair and lifting me up when I'm at the end of my strength. - Roberto Bolano

Fables for Our Time

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昨日はふらふらっと香林坊に行って、オヨヨ書林をのぞいてきた。本店のほうは数日前から店頭均一3冊100円というセールをやっていて「おっ!」とおもったが、残念ながらほしい本はなかった。もう少し早めに訪れるべきだったか。

次に向かったせせらぎさんでは、入り口の100円均一が補充されていたようだった。その中に、James Thurber's FABLES FOR OUR TIME という薄い本を見つけて、「おっ!」とおもった。というのも、このまえ買った『彷書月刊 特集 坪内祐三のアメリカ文学玉手箱』に「福田恆存とジェイムズ・サーバー」という文章があって、そこで坪内さんはサーバーのこの本の福田恆存訳を紹介していたからだ。

福田訳は邦題が『現代イソップ』で、昭和25年に万有社というところから出ているらしい。一方、私が買った均一本は昭和48年に英光社という出版社から出ている。いちおう『現代寓話』という邦題も付いているが、この本には日本語訳がない。原文の英文を巻末の注を頼りにガシガシ読んでいくという、高校生・大学生向けの、いわゆる英語の多読用教材なのである。多読用教材にもいろいろあって、本格的な文学作品などをより易しい英語でリライトしたものも多いが、この『現代寓話』のほうは寓話なだけに、もとの英文自体がシンプルでリライトする必要もないのだとおもわれる。高校生でも注を頼りに読むことは十分可能である。

この手の多読用教材はもともと学校で使用される目的で作られており、一般には流通していないはずである。全国の高校や大学の研究室にずっと置かれていて、古くなると捨てられるというのが普通だろうとおもう。ときどき古本屋の棚に紛れ込んでいることがあるが、そういうのは見かけたときに買っておかないと手に入れる機会を失ってしまうことになる。へたをするとちょっとした珍しい本よりも「珍しい」ということになってしまう。とはいえ、古書価というほどの古書価は付きにくいだろうし、ほしいとおもうのは英語の教員ぐらいだろうから、需要自体あまりないともいえるかもしれない。

「はしがき」によれば、この本は Fables for Our Time and Famous Poems Illustrated (1940) を底本として、前半の Fables だけを収録したもの、とある。でも、ちゃんとサーバーによるイラストも載っていて、それらの絵を見ているだけでも楽しい。編者は、「繊細さでは遠くマチスに及びませんが、マチス風の柔らかい流れる如き、まるで一筆画きのようにあっさりとした線で画かれています」と書いている。マチスのことはよく知らないが、わたしも半分このイラストに惹かれて買ったようなものだ。もう半分は坪内さんの文章だった。

29篇の寓話が収められているが、短い話は1ページ、長くても2ページなので、すぐ読める。そしてけっこうおもしろい。坪内さんは「福田恆存とジェイムズ・サーバー」の中で、そのうちの「庭さきの一角獣(The Unicorn in the Garden)」という1篇に触れている。福田恆存が戯曲「龍を撫でた男」を書くときにこの話を参考にしたそうだ。

「庭さきの一角獣」の話の筋はこうだ。あるところに男がいて、ある日朝食を食べているときに窓から家の庭を見ると、ユニコーンがいて、庭に咲いているバラを食んでいた。架空の動物がわが家の庭にいることに驚いて、男はまだ寝ていた妻にそのことを伝える。しかし、妻の方は「バカじゃないの、そんなものがいるわけないじゃない」といって取り合わない。その言い方に男はすこしカチンとくる。とりあえず、男は庭に出てユニコーンを間近に見ることにする。ユニコーンの角は黄金に輝いている。感動して、そのことを寝ている妻にもう一度伝えに行く。が、妻はやはり相手にしない。そのあいだにどうやらユニコーンはどこかへ行ってしまったらしく、庭に戻った男はそのまま庭で眠り込んでしまう。それを見て、妻はここぞとばかりに急いで警察と精神科に電話して、家に来てもらう。そして「うちの夫が庭にユニコーンがいたといってるんです」と警官と精神科医に訴える。が、訴えれば訴えるほど2人は逆にこの妻の頭の方がおかしいのだとおもうようになる。やがてそのことを確信した2人は妻に拘束衣を着せて取り押さえることにした。そのとき庭で寝ていたはずの男が家に入ってきたので、精神科医は「あなたはユニコーンを見たと奥さんにいいましたか?」と訊くと、男は「そんな架空の動物がいるわけないじゃないですか」とこともなげに答える。結局は、妻の方は精神病院に入れられ、男は以後しあわせに暮らしましたとさ。

この話の教訓は、Don't count your boobies until they are hatched. とある。これは、Don't count your chickens before they are hatched.(取らぬ狸の皮算用)をもじったもの。booby には「アカガモ(鴨の一種)」という意味がある一方で、「ばか、まぬけ」という俗語の意味もあるらしい。夫である男が最初にユニコーンのことを妻に伝えたとき、妻は夫をバカにするわけだが、そのときの妻のセリフが "You are a booby." (あんた、バカじゃないの)だった。つまり、Don't count your boobies until they are hatched. という教訓は、「夫が本当にバカかどうかも確かめずに軽はずみなことをすると自分のほうが痛い目に遭う」という意味である。編者によれば、これは亭主抑圧型のアメリカ女性を皮肉っているということらしい。けっこうワサビが効いていておもしろいとおもった。
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さて、こうなると、福田恆存がこの話をどんな形で「龍を撫でた男」という戯曲に組み込んだのかが気になってくる。興味は尽きない。
by anglophile | 2011-09-01 22:38 | 古本 | Comments(0)