2011年 06月 04日
ほしかった中公文庫などが買えた(昨日の日記)
香林坊109の3階で期間限定の古本市のようなものがはじまるらしい。「古さ」とは無縁のような109ビルに「古本」というのもなかなか逆説的でおもしろい。昨日は出張の仕事が早めに終わって、日没前に金沢にもどってこれたので、そのまま香林坊へ向かった。

古本スペースはユニクロを通り過ぎたところにあった。古本だけでなく、バーゲンブックやCDなども売られていたが、古本のことしか頭にないので、そちらは視界に入らない。こぢんまりとしたスペースだったが、まずまずの品出しの量だったろうか。買い物ついでにふらっと寄って、気に入った本を1冊買うのにちょうどよいかも。どの棚から見て回ろうかとしばらくおろおろしていたが、5~6人ほどいたお客さんが全員ライバルに見えてきたところで、ようやく心が落ち着いてきた。手前側には、単行本の「1冊300円コーナー」などがあり、奥の方には骨董関係などの大型本などがあった。今回は単行本には食指が動かなかったが、文庫本コーナーには岩波やちくまを中心とするけっこういい本が出ていた。目を動かすスピードが速くなる。

・塩谷賛 『幸田露伴(上)(中)(下の一)(下の二)』 (中公文庫) ¥700
・青江舜二郎 『狩野亨吉の生涯』 (同上) ¥400
・八木重吉 『八木重吉全詩集1・2』 (ちくま文庫) ¥500

文庫とはいえ、これらの本はこれらの値段ではなかなか買えないだろう。来てよかった。

さて、たまには買った本を読まなければ、息子にいつものセリフを浴びせられそうなので、帰ってきてから『幸田露伴(上)』を開く。「突貫紀行」で描かれている青年時代の露伴に興味があるので、目次を見て、とりあえず60ページあたりの「処女作」までを読むことにした。とそのまえに、巻頭にある著者塩谷賛による「自序」を読んで驚いた。
数年まえ、「露伴全集」が終わったときから伝記を書くことを考えていた。全集を編輯している最中からだったかもしれない。資料が揃わないからまだ書かずにいた。もう少し、もう少しという気持で待ったのだが、どのくらい集ったら書き出そうというきめは別になかった。そういうのは全くあぶないことである。私は失明した。多くのことを失念した。そのような状態で書いたのが本書である。条件は現在がもっとも悪い。資料も参考書も人に読んでもらい、自分が書いた原稿でさえ文字を直されなくてはならない。それなのに筆を持つことがまだ残されていると喜んで書こうとする。盲目になっての二年間は空々漠々として過した。三年目に父を失った。そのあとで人を得てこのしごとにとりかかったのである。(7頁)
1916年生まれの塩谷賛は、1960年に視力を失い、その後5年をかけてこの伝記を完成した。そのエネルギーに圧倒される。また、この人の文章を今回はじめて読んだが、その文章の簡潔さが印象的だ。
 露伴を伝したものには柳田泉氏の「幸田露伴」がある。昭和十七年露伴在世の時の執筆である。終焉の記事が存しないのは当然で、大正、昭和のことも省筆に従っている。露伴の死後に再刊されたが、それは第一回の結婚までで、出版社が潰れたために第二冊以後は発行されなかった。今改めてこの伝を読むとかつて一読したときよりずっとよくできていると感じた。当時に於てこれだけ新しい資料を用いたこともさすがである。小説もそのほかの文章も初出の不明なものが極めて多かった今度の全集は、その書によって少からぬ資料を得た。こまかに味わうと文章ものびやかである。そのあとで私がまた伝を綴るのは何のゆえか。私は学者ではなく編輯者で、私には少くとも自分の見方が存すると思うからである。全集を編纂したから縁遠いものでも数回、多く読んだものは十数回に及んだろう。それでも新しく読んでもらうたびにあらたな問題を思いつく。前人が気づかずにいた点をかなり発見したと考える。目しいて読んでもらうことは、この一度きりという緊張があるのかもしれない。(8-9頁)
最後の「この一度きりという緊張」という言葉が心の深奥にびいーんと響いた。
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by anglophile | 2011-06-04 18:14 | 古本 | Comments(0)


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