2011年 01月 07日
Roberto Bolaño, "The Savage Detectives"(2)
Roberto Bolaño の The Savage Detectives 読了。650頁に2週間かかった。やっぱり1週間で読むのは今の私には不可能。でも、いいんです、それで。そんなことより、この小説が今年最初に読み終えた本だったことに満足している。思えば、一昨年末に超長編 2666 を読んだことで、この作家にさらに興味を持ち、本書を早々に取り寄せてあったのだが、結局積読のままにしてあった。それが、先月になって、注文していたバルガス=リョサの本が届くまでのあいだ、何か読むものをということで、なんとなくラテン・アメリカ文学つながりで手に取ることになったのだから、ある意味、バルガス=リョサのおかげだな、これは。逸脱の醍醐味、ここにあり。

以下、感想を思いつくままに箇条書きで記す。

・以前のエントリーで、本作は4部に分かれていると書いたかもしれないが、正しくは3部だった。第1部と第3部が本当はつながっているのだが、そのあいだにあえて、長い長い第2部が挿入される。越川芳明氏はこれを「ABA」のサンドイッチ型と呼んでいた。つまり時系列的には、第1部→第3部→第2部(AAB)となるのだが、それをあえて分断し「ABA」としているところにフィクションの何たるかが表れている。このようにすることで、本書を読み終えた後の余韻が、時系列的に読んだ場合よりも、倍増されるように私にはおもえた。そういう意味で、時系列的には第3部の後に放浪の旅に出たベラーノとリマの様子が断片的に伝えられる第2部こそが本書の核をなすといっていいだろう。とにかく、これだけの長編を書いたボラーニョのその恐るべきエネルギーに圧倒されるばかりである。ワシントン・ポストの書評の冒頭は、ボラーニョへの最大の賛辞で始まっている。
Not since Gabriel García Márquez, whose masterpiece, One Hundred Years of Solitude, turns 40 this year, has a Latin American redrawn the map of world literature so emphatically as Roberto Bolaño does with The Savage Detectives.
真に恐るべきは、このあとにさらに長い 2666 を書いたことだろうし、それだけに50歳の若さで亡くなったことが悔やまれる。越川氏も書いているが、もし生きていれば、ノーベル文学賞の最有力候補になっていたのは間違いないだろう。

・物語の終盤で、謎の詩人セサレア・ティナヘーロとかつて同僚だった人物の口から、かつてセサレアが「西暦2600年頃」という言葉を口にしていたことが語られる。これは明らかにボラーニョの遺作『2666』と関係がある数字である。

・第2部に登場する語り手は50人を超える(らしい)。1頁で終わるものもあれば、30頁近いものもある。特に、長いものは1つ1つが独立した短篇として読むことも可能だろう。後半のアフリカのエピソード(第2部の第25章)などは非常におもしろかった。一方、第20章の語り手はホセ・レンドイロという弁護士兼詩人なのだが、やたらラテン語の格言らしき言葉を引用するので、わけがわからなかった。もちろんその部分は飛ばし読みした。邦訳では、たぶんこの部分もちゃんと日本語に訳されているのだろうと想像する。

・ニューヨーク・タイムズの書評のなかに、本作の2人の主人公アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマは、未邦訳の小説 Amulet (英訳はあり)にも登場するらしい。さらに、ちょっと調べてみたら、この Amulet の語り手は、 The Savage Detectives の第2部にも登場したアウクシリオ・ラクチュールというウルグアイの詩人(女性)であることがわかった。これは興味深いなあ。覚えておこう。ボラーニョは、ある小説の中に出てきたマイナーな登場人物を、別の小説の主人公にするということをけっこうしているようだ。たしかに、本書で(たしか)2回その名前が触れられる謎の小説家アルチンボルディは、2666 の最重要人物である。

以上。さて、このあと、The War of the End of the World を読むのか、読まないのか。The answer is blowin' in the wind.
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by anglophile | 2011-01-07 03:45 | 読書 | Comments(0)


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