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古本万歩計 Of what is lost, all I wish to recover is the daily availability of my writing, lines capable of grasping me by the hair and lifting me up when I'm at the end of my strength. - Roberto Bolano

伊藤人譽 『人譽幻談 幻の猫』

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昨日から伊藤人譽『人譽幻談 幻の猫』(龜鳴屋、2004年)を読み始めた。これが面白くてやめられない。収録作品は順に以下の通り。

・「穴の底」 (昭和32年)
・「雪仏」 (昭和22年)
・「幻の猫」 (昭和36年)
・「シメシロ」 (平成4年)
・「乳鋲」 (昭和60年)
・「髪」 (昭和62年)
・「猫の餌」 (昭和61年)
・「瓶の中の指」 (平成2年)

今のところ「髪」、「幻の猫」、「穴の底」、「雪仏」、「シメシロ」の順で読んでいる。「雪仏」は著者が34歳のときの、一方「シメシロ」は79歳のときの作品。書かれた時代も様々だから、物語の内容も多様だし、それに応じてそれぞれの不気味さの度合いも変化している。まだ数篇残しているが、ここでとりあえず印象に残ったものについて感想を記しておきたい。

「髪」は中学1年生の少年が主人公。満員電車で長い髪の女性と接触し、その髪の毛が自分の制服のボタンにからまって身動きができなくなるという話。発表当時、70歳を超えていた著者が、このような中学生の子供の雰囲気をよくもあんなにうまく出せたものだとおもう。

「幻の猫」は表題作。これがまたうまい。(ただし、愛猫家の方はご注意を)その冒頭はこんなふうにはじまる。
 重い病をやしなう身でありながら、なお殺生のやめられない人間がいるものだ。中五号室の権藤は、やっとベッドから足がおろせるようになると、家から空気銃を取りよせて、病舎の庭の木にやってくる渡りの小鳥たちに筒先を向けはじめた。(93頁)
昭和30年代に「空気銃」なんてあったんだなあ。そんなことはどうでもいいが、やがてこの空気銃の筒先は一匹の...

「シメシロ」は本書の中で一番短い。短ければ短いほどいいと言ったのは誰だったか。これぞ短篇!と私などはおもう。そしてもしかしたら、これが一番好きかもしれない。不気味というほどの話ではないのだが、短いなかに最初と最後がカチッとはまっていて、短篇の醍醐味を味わえる。最後はむしろ可笑しくって笑ってしまった。

さて、著者の伊藤人譽(いとう ひとよ)は大正2年(1913年)生まれ。室生犀星のお弟子さんだったようだ。巻末の略年譜によると、昭和17年に犀星の推薦もあって芥川賞の候補になったが、「文芸春秋社の事務上の手違いで本選から外される」とある。戦後は、『群像』などに作品を発表するようになるが、人との「付き合いは苦手」で、また「遅筆」だったこともあり、次第に文壇から遠ざかってしまったという。昭和60年に「新日本文学」という雑誌、その後は「文学造型」という同人誌に籍を置き、80歳を超えても作品を発表しつづけた。本書の「あとがき」では、自身の作家人生を次のように述懐している。
 振り返ってみると、私は一般に作家志望の人たちがたどる道を逆に歩いたような気がする。最初は明るい場所に出られたのに、すこしずつ木陰の多いところへ移って、うす暗い森の中にこもってしまったように思える。しかしそれとは反対に、小説自体はまちがいなくよくなってきたと信じている。現実と空想との微妙な境目に目をつけている姿勢も自分にはっきりしてきた。しいていうと、文字で読む小説の究極の姿のようなものにこだわりすぎたかもしれない。(345頁)
本書に収められている作品を読むと、この「現実と空想との微妙な境目に目をつけ」るセンスが秀抜であることが分かるだろう。伊藤さんは昨年95歳で亡くなられたそうだ。
by anglophile | 2010-12-06 19:00 | 読書 | Comments(0)