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古本万歩計 Of what is lost, all I wish to recover is the daily availability of my writing, lines capable of grasping me by the hair and lifting me up when I'm at the end of my strength. - Roberto Bolano

今日買った本

今日もまっすぐ家に帰らず、ふらふらとあてもなく車を走らせる。気づいたら「ブ」にいた。

・チャールズ・ディケンズ 『エドウィン・ドルードの謎』 (創元推理文庫)
・関川夏央 『「名探偵」に名前はいらない』 (講談社文庫)
・徳田秋声 『仮装人物』 (岩波文庫)
・幸田露伴 『幻談・観画談 他三編』 (同上)
・『色川武大・阿佐田哲也エッセイズⅠ 放浪』 (ちくま文庫)

『エドウィン・ドルードの謎』はディケンズの未完の遺作。ディケンズの文庫と言えば、新潮文庫やちくま文庫だろうが、むかし学生時代にこの1冊だけどうして創元推理文庫に入っているんだろうとおもったことを覚えている。そのときは買わなかったけど、こんなところでお目にかかれるとは。この文庫版は絶版のようで、あまり見かけない。

『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ』をぱらぱらめくっていたら、「眼の性のよさ」という坂口安吾についての文章が眼を射た。この小文は、雑誌『ユリイカ』の安吾特集(1986年)に載った文章のようだ。この『ユリイカ』を持っていたような持っていなかったような。
 坂口安吾は、私などが断定意味にいうのも変なことですが、眼の性のいい人だと思います。なによりもその点で、おそろしい人だと思いました。眼の性がいいということは、事物がよく見えるというだけでなく、遮蔽しているものを透し、またそのもの自体の陰になって見えない部分も一緒に視点に入れ、矛盾し合う要素、無縁に近い要素、いろいろなものを混合させたまま、しかも一枚の絵を見るように見てしまう、というようなことでありましょうか。たとえば、雨を見て、霧を見、雲を見、埃を見、有効性無効性、或いは無定型、雨の中に含まれる雨ではないもの、それらを一場の雨の中に一瞬で見てしまう力。(368頁)
安吾の「こわさ」は中上健次も書いていたっけ。
 自分の背丈など、到底及びもつかぬものがあることに気づいている。頭の上の、はるかに上にだ。それをひとまず、天と言ってみる。それがあるのに気づいてはいるが、知らない。また、知りたくない。頭の上の、はるか高みを、みたくない。安吾のはなしをして酒を飲むと、きまって悪酔いする。もちろん、いつも悪酔いしか出来ぬのだが、はじめのうち、アンゴ、素晴らしい、と言いつづけ、しまいには、自分の体のどこかが、ぶちっと潰れ、アンゴ即ち自分だと、激情がはじまる。ほとんど狂っている。アンゴ、すなわちマットウの人だが、このマットウの人は、人を狂わせる。(『夢の力』(講談社文芸文庫)所収の「空翔けるアホウドリ」より)
こちらは1975年の『ユリイカ』の安吾特集に載った文章。この『ユリイカ』は持ってなかったかな。
by anglophile | 2010-11-30 21:23 | 古本 | Comments(0)