2010年 11月 19日
一箱古本市の準備のことなど
今月の一箱古本市@源法院も来週末に迫ってきた。8月から数えて4回目、今年はこれが最後のようだ。さすがに冬の季節に屋外というのはキビしいのだろう。来週末、少しでもいい天気になりますように。

現在、出す本を少しずつ段ボールに入れている。基本的に「文学路線」は変えないつもり。9月の第2回のときにこんなことがあった。あるお客さんが順番に向こうの方から箱を見て回って来られて、やがて自分の箱の前へ。開口一番、「うーん、こちらも活字が多そうですねえ」とおっしゃり、私は苦笑い。どうやら少し軽めのものをご所望だったらしい。あらら、それならもう少しそういう本を持ってくればよかったともおもったが、でもやっぱり小説(ときどき、詩)を読むのが好きだから、この「活字が多そう」な路線は変えたくない。

そう言ってしまったからには、なんとしてでも堀江敏幸『河岸忘日抄』を読み進めねばなるまい。昨日は仕事が忙しく、一日お休み。今日は少しだけ読むことができた。密度が濃すぎてスイスイとは行かないが、でもこの作家が言葉について語っている文章はゆっくり味わいたいものだ。例えば、次のような文章。
 男女両性を有する単語ならずとも、隠され、眠っていたもう一方の意味が、なにかをきっかけにして不意に姿をあらわす瞬間ほど恐ろしいものはない。ひとに教えられたり、書物のなかでたまたま発見したりするのでなければその存在すら気づかなかったはずの言葉の裏面。百八十度異なる意味ではないとしても、彼にはそういう単語が巧妙に仕込まれた時限爆弾のように、あるいはまた、むこう側とこちら側とでそれぞれ正しい顔をつくっている二重スパイのように感じられてならないのだった。手にしていた言葉がくるりと裏返ってべつの存在になりかわり、遠いところへ行ってしまう恐怖感。(57頁)
この部分を含めた第4章の始まりの数頁がおもしろい。「サジテール」というフランス語には2つの異なる意味があるのだそうだ。そのことについて語るとき、作家の言葉に対する感度が最高潮に達する。うまいなあ、とおもう。

さて、堀江さんは現在早稲田大学で教えていらっしゃるが、いろいろ検索してみたら、「小説とも随筆ともつかない--ただ自分の書きたい文章を綴る」という文章を見つけた。これは早稲田の学生に向けて書かれた文章のようだ。特に、創作科の学生を対象としているのであろう。
回り道というと大げさかもしれないけれど、30歳過ぎてから、あるいは40歳、50歳になってから、ふと書きたくなるときが来るかもしれない。人によって時期は違うでしょうが、書きはじめるタイミングを逃さないでほしいと思っています。その段階で書く力があれば、書ける。書けなかったら、次の機会まで待てばいいんです。そのためには、好きな文学とのつきあいを止めないで、働きながらでも、ずっと本を読み、本好きの人たちとの対話を続けてほしい。その情熱をもち続けていれば、いつか書ける力が溜まって、書きはじめられるはずです。
こういう力強い言葉は、ずっと胸のうちに持ち続けていたいとおもう。
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by anglophile | 2010-11-19 01:44 | 一箱古本市 | Comments(0)


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