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古本万歩計 Of what is lost, all I wish to recover is the daily availability of my writing, lines capable of grasping me by the hair and lifting me up when I'm at the end of my strength. - Roberto Bolano

バンクーバーの古本屋

三月になり、オリンピックも終わった。アイスホッケーの決勝がすごかった。アイスホッケーについてはあまりよく知らないが、金メダルを獲ったカナダの人たちの熱狂はテレビを通してこちらにも伝わってきた。アイスホッケーの競技会場のすぐ隣には、開会式と閉会式が行われたBCプレイスという白い屋根(?)の建物がある。テレビにその白い屋根が映し出されたとき、むかし縁あって訪れたときの思い出がいろいろと脳裡に浮かんできた。本当によい街だった。合計三回訪れる機会があり、三回目が二〇〇一年の夏だったから、あれからもう九年経つのか、と思う。

バンクーバー市内にも古本屋が何軒かあって、暇を見つけて足を運んだものだ。そのときに買った一冊がこちら。
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Amos Tutuola, The Palm-Wine Drinkard (Faber and Faber, 1971)である。邦訳は、知られているとおり、晶文社から『やし酒飲み』として刊行されている。私がチュツオーラのことを知ったのは、多和田葉子のエッセイ集『カタコトのうわごと』を読んだときだった。
 たとえば、日本でも何冊か翻訳の出ているエイモス・チュツオーラ。このナイジェリア生まれの作家は、母国語ではない英語で小説を書く。彼の英語は独特で、こんな間違った英語で小説を発表する人間がいるのはアフリカの恥だ、と非難する人もいるそうだが、わたしはこの言葉に魅了された。(「外国語文学」の時代)
この文章を読んだのが、ちょうどカナダに行く直前で、この作家の名前がずっと頭の中に残っていたのだが、運良くバンクーバーの古本屋で原書を手に入れることができたのだった。たしかに読んだときは衝撃的で、こんな英語がありなのか!と思ったことを覚えている。
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こちらは本文の中に一頁だけ複製されているチュツオーラの自筆原稿。頁の下に書かれている言葉がおもしろい。
A page from the author's MS. showing the publisher's 'corrections'
出版者側の校正の跡がはっきり見てとれる。しかし、これは校正というよりも、「英語の添削」である。動詞の時制の一致が不完全であったり、whereverという複合関係副詞の綴りがwhere-everとハイフンでくっついていたりと、要するに「下手くそ」な英語なのである。でも、これで「文学」として成立しているところがすごいなあ。

さて、私が買ったこのペーパーバックは、Faber and Faberというイギリスの出版社から出ていたもの。たしか、現代文学を売りにしているけっこう「メジャー」な出版社だったはず。チュツオーラの本も、今も装幀を変えて普通に出しているようだ。でも、私はこの頃(一九六〇~七〇年代ぐらい?)のFaber and Faberのデザインが気に入っている。同じようなデザインのもので他にも次のような本を持っている。
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こちらはベケットの『ゴドーを待ちながら』である。GODOTだけ大文字になっているのが、意味がありそうな無さそうな(笑)

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こちらはダレルのいわゆる『アレクサンドリア四重奏』の四冊。このストレートな配色が気に入っている。

いずれも一昔前の雰囲気を感じるのに十分な佇まいだと思う。これらはイギリスにいたときに、一冊二ポンドくらいで買ったのだった。
by anglophile | 2010-03-02 02:55 | 古本 | Comments(0)