2009年 11月 08日
ボブ・ディランと内田樹と森銑三
金曜日にブックオフを覗いてきた。仕事に疲れ、憂さ晴らしといったところ。前回行った時からまだあまり日が経過していなかったので、期待はしていなかったが、なんとか一冊拾うことができた。

・クリス・ウィリアムズ編 『ボブ・ディラン 自由に生きる言葉』 (夏目大訳、イースト・プレス、二〇〇七年)

原題は、Bob Dylan In His Own Words で、ボブ・ディランがインタビューなどで語った言葉を集めたもの。原著は1993年に出版されている。最近(?)よく書店で見かける作家などの言葉を集めたアンソロジーにはまったく食指が動かない自分であるが、ボブ・ディランとなると話は別。ましてや105円なのだから。さらに、ありがたいことに、この本は翻訳であるにもかかわらず、巻末にちゃんと英語の原文が載っているのだ。だから、英語の勉強にもなります!響いた言葉をひとつ引いておく。

ぼくが歌を書き始めたのは、どこにもうたいたい歌が見つからなかったからだ。見つけていれば自分で作るようにはならなかった。(ニューヨーク、1984年)
この言葉を読み、頭のなかの引き出しにしまってあった内田樹さんの言葉を思い出した。内田さんはご自身が本を書く理由を、「私自身が読みたいなと思っている主題があるのだが、誰も書いてくれないので、しかたなく自分で書いている」と説明しておられる。これはディランと同じではないか!かっこよすぎます!

内田さんのブログはもう何年も前から愛読しているし、その著書も何冊か持っている。ブログも含めて、その著作から実に多くのことを学ばせてもらった。例えば、森銑三という名前を知ったのも内田さん経由だった。内田さんはあるときのブログでこう書かれている。

森銑三といっても知る人は少ないが、私の大好きな文士の一人である。この人の『明治人物閑話』が私の座右の書の一つであるのは折に触れて書いている通りである。手元にあるのは昭和63年の版のものであるから、おそらく私が30代の終わり頃か40代の始め頃に手に取ったものであろう。それはポストモダンとかデコンストラクションとかジェンダースタディーズとかポストコロニアリズムとかやたらに新帰朝の理説が幅を利かせていた時代であった。そういう時流がどうも気に染まず、家に籠もって森鴎外や夏目漱石や永井荷風や石川淳や中島敦や森銑三のような「明治の匂い」のするものばかり読んでいた。森銑三を読んで成島柳北の存在を教えられ、それから柳北のものを読み始めたのである。私が「日本のおじさんは偉い」という確信を得たのはこれらの明治人のおかげである。中央公論社から復刻される森銑三著作集の解説を書くために、また本を取り出してはじめから読み出した。
こういうエピソードを読むと、もっと本を読まねばと思ってしまう。

というようなことをふと思いついたのは、本日(土曜日)寄った古本屋に森銑三の文庫を見つけたからなのだ。

・森銑三 『渡邊崋山』 (中公文庫)

こうやってコツコツと森銑三の文庫を集めるのも私のdiscreet happinessのひとつとなっている。

◆『2666』読破メーター:429頁
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by anglophile | 2009-11-08 03:35 | 古本 | Comments(0)


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