2009年 10月 19日
『岩波文庫分類總目録』
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しばらく前に入手した「昭和十年五月現在」の岩波文庫目録である。山本善行さんや岡崎武志さんの影響で、目録にまで手が伸びるようになった。けっこう古いものであるが、お二人にはかなわない。山本さんの『関西古本赤貧道』には昭和四年の目録の、『少々自慢 この一冊』(EDI叢書)には岡崎さんの所有する昭和五年の目録の書影が載っている。

岡崎さんの文章によると、昭和五年版は「一ページに六点で、本文四十二ページ、全部で訳二百五十点」だそうだ。昭和十年版は「1ページに5点、本文82ページ」です。5年間で2倍弱の刊行数になったことが分かる。パラパラめくっていたら、面白い記述があったので引いておく。「ヂ」ェイムズ・「ヂ」ョイスの『ユリシーズ』である。

現代世界文學に於けるヂェイムズ・ヂョイスの位置は正に太陽のそれである。ヂョイスなくして恐らく二十世紀文學の太陽系は存在し得なかつたであらう。そしてヂョイスの今日をあらしめたものは実に『ユリシイズ』一篇である。ダブリンの一平凡人ブルームが一日二十四時間以内に経験した外面的並びに内面的生活を精細に記録することに依つて作者は比類ない人類の叙事詩を構成した。フロイト=ユングの洗禮を受けた現代人は無意識の世界にまで掘り下げた『ユリシイズ』の如き小説に於てでなくては人生の眞の全部は把握し得ないであらう。異常な頭脳と感覚を持てるヂョイスは人間の感じ得る最大限を感じ、人間性の堪え得る最大限の冷厳なる理智を以て之を表現した。而してその表現に使用したテクニークは過去のあらゆる文學的方法の一大綜合であり且つ新しい大胆な実験でもあつた。小説の革命。その影響は全世界に及び、日本の文壇にも新心理主義となつて現はれた。然し日本に於けるヂョイスへの理解は、恐らくそのテキストの難関の故に、全的とは言ひ難い。今『ユリシーズ』の全訳を世に送る所以はここにある。
昭和十年は1935年であり、ユリシーズの出版(1922年)から13年間で、「ヂョイスなくして恐らく二十世紀文學の太陽系は存在し得なかつたであらう」と断言しているところがすごいというか、大胆というか。まだ残り65年もあるというのに(笑)。とはいえ、伊藤整らがその数年前(1931~33年)に『ユリシイズ』として邦訳を出しているので、その評価はすでに固まっていたと考えることもできるかもしれない。

この目録の解説でもう1つ興味深いのは、作品名を最初は『ユリシイズ』と記しているが、最後に『ユリシーズ』と言っている点だ。これが単なる不注意による記述なら笑って済ませるところだが、もしかしたら伊藤整らの『ユリシイズ』に対抗する野心から、新たに『ユリシーズ』という邦題を採用したのであれば、凄まじい気概と言えるかもしれない。当時の翻訳事情はよく知らないが、そう考える方が面白いことだけは確かだろう。
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by anglophile | 2009-10-19 21:14 | 古本 | Comments(0)


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